<放射線健康被害>IAEAがWHO「制約」…専門部局廃止
2011年 09月 18日
<放射線健康被害>
IAEAがWHO「制約」…
専門部局廃止
毎日新聞
9月18日(日)2時30分配信より
【ジュネーブ伊藤智永】
世界保健機関(WHO)の
放射線による健康被害調査部門が廃止された後に起きた、
東京電力福島第1原発事故。
放射線による健康被害は、
86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と同程度か、
それ以下か、
それ以上か--。
政府や多くの専門家が
「今のところ心配ない」と言っても、
人々の不安は解消されない。
こうした不信感が生まれる土壌には、
核の健康被害に関する
国際的な調査・研究体制が整備されてこなかった現実がある。
◇戦後の国際秩序反映
半世紀以上前のWHOの報告書がある。放射性物質が人間の遺伝子に及ぼす影響について、エックス線による突然変異を発見しノーベル賞を受賞した遺伝子学者のマラー博士ら専門家に研究を委託した。
結論は「原子力発電産業の発展により、将来世代の健康は脅かされている。将来の遺伝子の突然変異が子孫に有害だと判断する」。世界はおののいた。
翌1957年、国際原子力機関(IAEA)が設立された。
IAEAは国連と連携協定も結んでいない独立機関だが、総会や安保理への報告を通じて密接な関係を保持する組織となった。
世界の安全保障体制は、第二次世界大戦後、
「国連安保理常任理事国(P5)=5大核保有国」
を頂点とする「核兵器による支配」下にある。
つまり、平和利用(原発)に関する権限も、
実際はP5の意向抜きには自由に行えないのが、
戦後の国際秩序なのだ。
その宿命を背負って誕生したのが、IAEAだった。
WHOとIAEAの協定には、「両機関は修正を提起できる」とある。チャンWHO事務局長はNGO代表との面会で、チェルノブイリ事故後の「原子力事故早期通報・援助2条約」と、05年の国際保健規則改定で、IAEAの「拘束」が一層強化されたことを示唆したが、WHOがIAEAに対して協定の「是正」を求めたことは一度もない。
◇チェルノブイリ 揺れた被害者数
もっとも、WHOも手をこまぬいてきたわけではない。
チェルノブイリ事故から10年目の95年にはジュネーブの本部で、15年の01年にもキエフで、それぞれ事故の健康被害に関する国際会議を開催。予想以上にひどい被害実態の報告が相次いだ。
しかし、チェルノブイリ事故に幕を引こうとする流れを決定付けたのは、事故20年を前にした05年9月、IAEA本部で開かれた国際会議だった。IAEA、WHOなど国連関連8機関とウクライナ、ベラルーシ、ロシア3カ国で結成された「チェルノブイリ・フォーラム」が主催。「死者56人、将来のがん死者推定3940人」(調査対象60万人)とする報告書を出した。
各方面から「少なすぎる」との非難が集中し、WHOは06年に対象集団を約12倍の740万人に広げ、汚染地域住民5000人を加えて「がん死者推定9000人」と修正。同下部機関の国際がん研究機関(IARC)は、範囲を欧州全域5億7000万人に拡大して「がん死者推定1万6000人」と発表するなど、揺れた。
06年は欧州で多くの見積もりが発表され、3万~6万人(NGOのグリーンピース)▽9万3000人、将来死者14万人(緑の党)▽21万2000人(ロシア医科学アカデミー)▽98万5000人(ロシアのヤブロコフ博士ら)--と幅が大きい。対象人数や平均被ばく量、統計上の係数で数字が大きく変わり、議論は集約されていない。
こうした議論百出の状況を尻目に、
国際政治・経済の主流は、
気候変動対策や世界経済をけん引する
新興国のエネルギー需要を理由に、
「原発ルネサンス」へとなだれを打った。
福島事故はその直後に起きたのだった。
いったん幕引きに入ったチェルノブイリ事故について、IAEAなど国際機関が新たな調査をまとめる予定はない。国際的な調査基準や体制がない現状で、日本は、福島事故後の健康被害の全容解明を、調査方法の開発を含め、事実上ほぼ独力で進めていかざるを得ない。
<WHOとIAEA関連年表>
1945年 米、原爆投下
48年 ★世界保健機関(WHO)設立
49~52年ソ連、英が原爆保有
53年 ソ連、水爆開発
アイゼンハワー米大統領、国連総会「平和のための核」演説
54年 米、ビキニ環礁核実験、第五福竜丸など被ばく
国連で国際原子力機関(IAEA)憲章の協議開始
55年 ソ連、水爆実験
放射線の影響についての国連科学委員会(UNSCEAR)設立
56年 国連、IAEA憲章採択会議(総会ではない)で憲章草案採択
★WHO専門家委員会「原発は有害」報告書
57年 ★IAEA設立
英、世界初の原子炉重大事故(火災)
英、水爆実験
59年 ★IAEAとWHOの協定
60~64年仏、中、原爆実験
67~68年中、仏、水爆実験
74年 印、原爆実験
79年 米、スリーマイル島原発事故
86年 ソ連・チェルノブイリ原発事故
★IAEA会議で原子力事故「早期通報・援助」の2条約批准
88年 ★WHO、2条約を批准
95年 ★WHO「チェルノブイリ健康影響国際会議」(ジュネーブ)
98年 印、パキスタン、核実験
2001年 ★WHO「第2回チェルノブイリ国際会議」(キエフ)
05年 IAEAで「チェルノブイリ・フォーラム国際会議」。「がん患者約4000人」の報告書
★WHOの危機管理「国際保健規則」改定
06年 北朝鮮、核実験
09年 ★WHO、放射線健康局廃止
11年 東京電力福島第1原発事故
※★はWHOとIAEA関連
IAEAがWHO「制約」…
専門部局廃止
毎日新聞
9月18日(日)2時30分配信より
【ジュネーブ伊藤智永】
世界保健機関(WHO)の
放射線による健康被害調査部門が廃止された後に起きた、
東京電力福島第1原発事故。
放射線による健康被害は、
86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と同程度か、
それ以下か、
それ以上か--。
政府や多くの専門家が
「今のところ心配ない」と言っても、
人々の不安は解消されない。
こうした不信感が生まれる土壌には、
核の健康被害に関する
国際的な調査・研究体制が整備されてこなかった現実がある。
◇戦後の国際秩序反映
半世紀以上前のWHOの報告書がある。放射性物質が人間の遺伝子に及ぼす影響について、エックス線による突然変異を発見しノーベル賞を受賞した遺伝子学者のマラー博士ら専門家に研究を委託した。
結論は「原子力発電産業の発展により、将来世代の健康は脅かされている。将来の遺伝子の突然変異が子孫に有害だと判断する」。世界はおののいた。
翌1957年、国際原子力機関(IAEA)が設立された。
IAEAは国連と連携協定も結んでいない独立機関だが、総会や安保理への報告を通じて密接な関係を保持する組織となった。
世界の安全保障体制は、第二次世界大戦後、
「国連安保理常任理事国(P5)=5大核保有国」
を頂点とする「核兵器による支配」下にある。
つまり、平和利用(原発)に関する権限も、
実際はP5の意向抜きには自由に行えないのが、
戦後の国際秩序なのだ。
その宿命を背負って誕生したのが、IAEAだった。
WHOとIAEAの協定には、「両機関は修正を提起できる」とある。チャンWHO事務局長はNGO代表との面会で、チェルノブイリ事故後の「原子力事故早期通報・援助2条約」と、05年の国際保健規則改定で、IAEAの「拘束」が一層強化されたことを示唆したが、WHOがIAEAに対して協定の「是正」を求めたことは一度もない。
◇チェルノブイリ 揺れた被害者数
もっとも、WHOも手をこまぬいてきたわけではない。
チェルノブイリ事故から10年目の95年にはジュネーブの本部で、15年の01年にもキエフで、それぞれ事故の健康被害に関する国際会議を開催。予想以上にひどい被害実態の報告が相次いだ。
しかし、チェルノブイリ事故に幕を引こうとする流れを決定付けたのは、事故20年を前にした05年9月、IAEA本部で開かれた国際会議だった。IAEA、WHOなど国連関連8機関とウクライナ、ベラルーシ、ロシア3カ国で結成された「チェルノブイリ・フォーラム」が主催。「死者56人、将来のがん死者推定3940人」(調査対象60万人)とする報告書を出した。
各方面から「少なすぎる」との非難が集中し、WHOは06年に対象集団を約12倍の740万人に広げ、汚染地域住民5000人を加えて「がん死者推定9000人」と修正。同下部機関の国際がん研究機関(IARC)は、範囲を欧州全域5億7000万人に拡大して「がん死者推定1万6000人」と発表するなど、揺れた。
06年は欧州で多くの見積もりが発表され、3万~6万人(NGOのグリーンピース)▽9万3000人、将来死者14万人(緑の党)▽21万2000人(ロシア医科学アカデミー)▽98万5000人(ロシアのヤブロコフ博士ら)--と幅が大きい。対象人数や平均被ばく量、統計上の係数で数字が大きく変わり、議論は集約されていない。
こうした議論百出の状況を尻目に、
国際政治・経済の主流は、
気候変動対策や世界経済をけん引する
新興国のエネルギー需要を理由に、
「原発ルネサンス」へとなだれを打った。
福島事故はその直後に起きたのだった。
いったん幕引きに入ったチェルノブイリ事故について、IAEAなど国際機関が新たな調査をまとめる予定はない。国際的な調査基準や体制がない現状で、日本は、福島事故後の健康被害の全容解明を、調査方法の開発を含め、事実上ほぼ独力で進めていかざるを得ない。
<WHOとIAEA関連年表>
1945年 米、原爆投下
48年 ★世界保健機関(WHO)設立
49~52年ソ連、英が原爆保有
53年 ソ連、水爆開発
アイゼンハワー米大統領、国連総会「平和のための核」演説
54年 米、ビキニ環礁核実験、第五福竜丸など被ばく
国連で国際原子力機関(IAEA)憲章の協議開始
55年 ソ連、水爆実験
放射線の影響についての国連科学委員会(UNSCEAR)設立
56年 国連、IAEA憲章採択会議(総会ではない)で憲章草案採択
★WHO専門家委員会「原発は有害」報告書
57年 ★IAEA設立
英、世界初の原子炉重大事故(火災)
英、水爆実験
59年 ★IAEAとWHOの協定
60~64年仏、中、原爆実験
67~68年中、仏、水爆実験
74年 印、原爆実験
79年 米、スリーマイル島原発事故
86年 ソ連・チェルノブイリ原発事故
★IAEA会議で原子力事故「早期通報・援助」の2条約批准
88年 ★WHO、2条約を批准
95年 ★WHO「チェルノブイリ健康影響国際会議」(ジュネーブ)
98年 印、パキスタン、核実験
2001年 ★WHO「第2回チェルノブイリ国際会議」(キエフ)
05年 IAEAで「チェルノブイリ・フォーラム国際会議」。「がん患者約4000人」の報告書
★WHOの危機管理「国際保健規則」改定
06年 北朝鮮、核実験
09年 ★WHO、放射線健康局廃止
11年 東京電力福島第1原発事故
※★はWHOとIAEA関連
by kuroki_kazuya
| 2011-09-18 03:51
| 核 原子力