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by 幸田 晋

解釈改憲 戦争する国への瀬戸際

解釈改憲 
戦争する国への
瀬戸際


信濃毎日新聞 社説
2014年03月02日(日)より一部

日本は「平和国家」の
看板を捨てるかどうか、
戦争ができる国になるか否かの
分岐点に立っている。


安倍晋三首相が目指すのは
自衛隊が戦後初めて武力行使に踏み切る道を広げることだ。
首相がこだわり続けてきた
集団的自衛権の行使容認がその環境を整える。

国の予算案が衆院を通過し、
国会論戦の焦点はこの問題に移る。
首相が設けた懇談会が4月に行使容認を求める報告書を提出する。
これを「錦の御旗」に憲法解釈を変更する段取りだ。

<安倍首相の荒っぽさ>

手法は荒っぽい。
首相は憲法を尊重する義務を負っているにもかかわらず、
その解釈を一方的に変えて自分自身の信条を実現しようとしている。

首相がやろうとしていることを黙って見ていると、
国民を置き去りにして国の形や針路が変えられてしまう。

与野党は安全保障政策の転換で将来がどうなるか、
厳しく問いただすべきだ。

安倍首相は第1次政権のときは改憲に向けた
国民投票法や「愛国心」を強調した改正教育基本法を成立させている。
与党の「数の力」による強引な国会運営も目立ち、支持を失っていった。

与党が圧倒的多数になった第2次政権では
さらに、国民の反対が強い特定秘密保護法を成立させるなど
安保政策の転換に前のめりになっている。

1次政権でやり残した課題の実現ばかりに目が向き、
姿勢はかたくなさを増したようにみえる。
民意よりも自身の保守的な信条を優先している。

<集団的自衛権は危うい>

首相が執心する集団的自衛権について
歴代の内閣は
戦争放棄を定めた憲法9条に照らし、
権利はあっても行使はできない、
との見解を維持してきた。


憲法を守る主体は
国であることを理解し、
泥沼の戦争にはまり込んでいった
過去の経験や反省から
抑制的な防衛政策を支持してきた
政治家が多かったからではないか。


安倍首相は逆である。

第2次政権が発足した直後から
憲法そのものを変えることに意欲を示していた。
現行憲法の改憲手続きがきついとし、
緩めることを訴えた。
9条の改定を主眼にしていたことは間違いない。

しかし、
「試合のルール」を自分に都合よく変えるな、
といった反発が国民の間で高まると
発言を控えるようになった。

同時に取り組んできたのが、
憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認である。
1次政権のときと同様、
今回も行使容認に肯定的な人物を集め、
国民に是非を問わずに憲法解釈の変更によって実質改憲を行う構えだ。

 
その背景に目を凝らさねばならない。
首相は大国化する中国に対抗するため、
集団的自衛権の行使容認などのカードを利用して米国に頼ろうとしている。

 
しかし、
靖国神社参拝などで
戦後体制から脱却する姿勢を国内外に印象付けた。
戦後日本の道筋を付けた米国は安倍政権に不信感を募らせた。

こうした矛盾が外交を不安定にし、
米国への傾斜を強めながら安保強化の道へ首相を突き進ませる恐れがある。

 
日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、
自衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要はなくなる―。

 
安倍首相は
昨年1月に出版した著書「新しい国へ」で、
集団的自衛権行使の意義についてこんな説明をしている。

別の章では
「自衛権を行使することによって、交戦になることは、十分にありうる」とも言っている。

 
安保環境が安定するのか、
逆に不安定になるのか、
分からない記述である。

首相は行使を認めた後の国のありようについて深く考えているのだろうか。



・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2014-03-03 06:05 | 憲法