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by 幸田 晋

問い続けることの大切さ アウシュビッツの非道

問い続けることの大切さ

アウシュビッツの非道


信濃毎日新聞 社説 10月19日(日)より一部

ガラス越しに古びた旅行かばんが山のように積まれている。
別の場所には大量の靴や食器、ブラシ類…。

どれもポーランドのアウシュビッツ強制収容所に残されていた物だ。

第2次大戦中、ナチス・ドイツが連行したユダヤ人らから没収した。

アウシュビッツは
ナチスの大量虐殺を象徴する場だ。
犠牲者は100万人以上とされるものの、
正確な数は今も分からない。
ほとんどは、欧州各地から
連行されたユダヤ人だった。


収容所の跡地は戦後、国立博物館となった。

犠牲者の遺品や当時の資料を展示している。

来年の大戦終結70年を前に今月9日、現地を訪ねた。

館内の展示は、ナチスの非道を生々しく伝える。
長い毛髪の束もその一つだ。女性の髪を切って集め、衣料品の工場などに売っていた。
「使える物は何でも使うという冷淡な合理性」。
博物館の公式ガイド、中谷剛さん(48)の説明に衝撃を受ける。

博物館は、
ポーランドの兵営を利用して設けた第1収容所と、
3キロほど離れた第2収容所(ビルケナウ収容所)から成る。

第2収容所は140ヘクタールの土地に300余りの建物があった。

欧州各地からユダヤ人らを運んだ鉄道の引き込み線も残る。

列車を降りた人たちは、
その場で生死の「選別」をされた。労働力として使えない14歳以下の子どもは
母親と一緒にガス室に送られるなど、多くの人が死に追いやられた。

連行される列車の中での不安や恐怖、
ガス室で殺害される無念は
どれほどのものだったか。
想像すると、言葉をなくす。


・・・(中略)


展示の一つに、戦時中の第2収容所の写真がある。
列車から降りてガス室へ誘導される人たちや収容所の監視員が写っている。

中谷さんが解説する。
「生死の選別をする医者も、監視員も、罪悪感を抱いている様子がありません」

収容所の解放後、謝罪した監視員はいないという。
「なぜ、罪悪感なしにできたのか。可能にした条件は何か。
それを考える場として、この博物館があります」


自分が当時のドイツ国民、ナチスの一員だったら、どう行動しただろう。
命令に従ってしまわなかったか、罪悪感を覚えたか、大量虐殺に異を唱えられたか…。
説明を聞きながら、簡単には答えられない問いが次々に浮かんだ。

ナチスを断罪するだけでは済まない。

どんな状況ならば、あれほど残虐になり得るのか―。

そんな自問を続けることが大切なのだろう。

アウシュビッツから
何を教訓として引き出せるか。

現代を生きる一人一人が
向き合わなければならない課題だ。

by kuroki_kazuya | 2014-10-20 06:06 | 反動