東芝の会計問題 背景に家電系とインフラ系の人事抗争あった
2015年 07月 19日
背景に家電系とインフラ系の
人事抗争あった
NEWS ポストセブン 7月18日(土)16時6分配信より一部
石坂泰三、土光敏夫……日本を代表する経営者を輩出した名門企業が、今かつてない危機に立たされている。
今年4月に発覚した東芝の「不適切会計」問題は次々と新事実が明るみに出て、額は2000億円にまで膨れ上がった。社員たちはなぜ、巨額の“粉飾”に手を染めたのか。背景にあったのは、社内の激しい派閥抗争と、“派閥の領袖”たる社長同士の仁義なき争いだった。
東芝の人事には特徴がある。社長の出身母体が、パソコンや家電などの「家電系(弱電)」と、原子力などの「インフラ系(重電)」で交互に入れ替わっていることだ。
実際に1990年代以降を見れば、西室泰三氏(家電営業)→岡村正氏(社会インフラ)→西田厚聰氏(パソコン)→佐々木則夫氏(原子力)、そして現在の田中久雄氏(パソコン部品などの調達)と重電と弱電の両部門から交互に社長が誕生している。財界では「社長が替われば主流派閥も替わる」と囁かれている。同社の中堅幹部が語る。
「重電と弱電は同じ会社でもまるで異なる組織。自分の所属する部門から社長が出れば、ボーナスの査定が上がりやすくなるので張り切るし、出世もしやすくなる」
・・・(中略)
「佐々木さんは社内で『原発野郎』と揶揄されるなど、原子力以外は詳しくないとの評が多く、語学も苦手で海外出張にはほとんど行かなかった。奥さんがイラン人で国際派を自任する西田さんとは、そもそもソリが合わなかったんです。
西田さんは“ろくに英語もできない”、“現場を見ずに会議ばかりしている”と事あるごとに佐々木さんを批判していた」
前述の「成長軌道」発言からもわかるように、西田氏は佐々木時代の業績に不満を抱いていたようだ。だが、佐々木氏らインフラ閥にも言い分がある。
西田時代終盤の2008年にリーマン・ショックの影響もあって業績が悪化し、2009年3月期には約3400億円の赤字に転落した。佐々木氏に課せられたのは赤字からの脱却だった。
「西田氏の締め付けが強まるなか、それを見返してやろうとする佐々木氏が部下に厳しく業績改善の檄を飛ばした」(前出・中堅幹部)時期が、インフラ事業の“粉飾”のタイミングと重なるのは無縁とは思えない。
※週刊ポスト2015年7月31日号