米国は厳密な意味で、安保条約上、日本を防衛する義務は負っていません。
2016年 06月 05日
件名 : 『21世紀の戦争と平和』「多くの日本人には驚きでしょうが、
米国は厳密な意味で、安保条約上、日本を防衛する義務は負っていません。
極めて巧妙に作ってあります」
孫崎享 2016年6月04日, 土, 午前 05:38より転載
私たちが日本の安全保障を論ずるとき、米軍はつねに日本の防衛のために戦ってくれるものだと考えます。そしてその根拠として日米安保条約をあげます。しかし多くの人は驚くと思いますが、厳密に言えば、米国は日本防衛の義務を負ってはいないのです。
この点についても自著『戦後史の正体』で詳述しています。
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この条約(一九五一年締結の旧日米安保条約)がもつ意味について、米国の歴史学者マイケル・シャラーは『「日米関係」とは何だったのか』のなかでこう解説しています。
「アメリカが極東(東アジア)のいかなる場所に対しても使用できるように、『日本国内および周囲に陸海空の軍隊』を維持するよう日本側から『要請』することに決定した。これらの軍隊には日本の防衛は要求されておらず、いつでも引きあげることができ、また日本国内の騒乱にも使用することができた」
「えっ」と驚かれたかもしれません。「これらの軍隊には日本の防衛は要求されておらず、いつでも引きあげることができる」とシャラーは書いています。本当でしょうか。
条文を見てみましょう。
「この軍隊は、(略)日本国の安全に寄与するために使用することができる」と書かれています。一般の人はうっかり見すごしてしまうでしょうが、「使用することができる」というのは、法律上は義務ではないということを意味します。
ここはもっとも重要なところかもしれません。
日本の国民はほぼすべて、「日米安保条約を結んだことで、それからずっと日本は米国によって守られている」と思っています。では、旧安保条約の交渉担当者、ジョン・フォスター・ダレスはそのように思っていたでしょうか。まったく思っていませんでした。
ダレスは「フォーリン・アフェアーズ」誌一九五二年一月号で「米国は日本を守る義務をもっていない。間接侵略に対応する権利はもっているが、義務はない」と書いています。
米国は少なくとも一九六〇年まで、法的には日本防衛の義務を負っていなかったのです。
では一九六〇年に改訂された安保条約ではどうなっているでしょうか。
米軍の位置づけは新安保条約のもとでもなんら変わっていません。安保条約第五条には次のように記載されています。
「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」
これを読んで、多くの日本国民は「米国は日本を防衛する義務を負った」と考えます。
しかし、よく見てください。
「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処する」と書かれています。
また、議会の権限を規定する、米国憲法の第一条八節一一項には「戦争を宣言し」とあります。戦争宣言の権限は大統領にはなく、議会にあるのです。したがって日米安保条約は「米国議会がOKしたら戦争します」と言っているにすぎません。第二次大戦後、米国はさまざまな軍事展開をしてきましたが、議会の意志を無視して戦争状態に入ったことはありません。議会は当然、世論の動向を反映します。
のちほど詳しく触れますが、尖閣諸島問題に米国が軍事参加をすることを米国民は当然視しているのでしょうか。
私は二〇一五年一〇月二〇日、こうツイートしました。
「20日NHK4か国(日米中韓)世論調査「尖閣諸島を巡り日中が軍事衝突した場合、米国の軍派遣への賛否で、アメリカで六四%が反対」。米国は尖閣諸島で軍事に参加しない。そのことは安保条約違反ではない。「憲法に従い行動」、交戦権は議会権限。米軍が参加してくれると思い込む日本の甘さ。」
このツイートはかなりの反響を得ました。
「安保条約を読めば誰でもわかること。このような重大な事実を伝えるのがマスコミの本来の役目。だが日本のマスコミは隠蔽の方向に動く」
「もうすぐ中国はアメリカを超える軍事力を備える。アメリカ全土を破壊できる力を持つ。アメリカはたかが日本のためにそんな大国と戦うリスクを選ぶはずはない」
「どんな条約があろうが、自分の身は自分で守るのが基本」
「小さな島をめぐって武力で争うという発想自体が前世紀的。みんなで平和条約に署名して話し合えばいい」
「国家の行動原理は国益になるかどうかであって、
日本を守ることが国益に反すると判断すればアメリカは日本を見捨てる。
アメリカの国力が下がっているいま、それは実際に起こりうる」
ツイッターはおもしろい世界です。見ず知らずの人がコメントを交換する。昔では考えられなかったことです。
ちなみに、条約とはそういうものだ と反論する人もいます。そう主張される方はNATO条約(北大西洋条約)第五条を見てください。
締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。
ここでは、?地域の安全を回復するために、?兵力の使用を含め、?直ちに行動をとる、と明確に言明しています。日米安保条約の「憲法上の規定に従つて行動する」という記述とは、大きく異なっているのです。
米国は厳密な意味で、安保条約上、日本を防衛する義務は負っていません。
極めて巧妙に作ってあります」
孫崎享 2016年6月04日, 土, 午前 05:38より転載
私たちが日本の安全保障を論ずるとき、米軍はつねに日本の防衛のために戦ってくれるものだと考えます。そしてその根拠として日米安保条約をあげます。しかし多くの人は驚くと思いますが、厳密に言えば、米国は日本防衛の義務を負ってはいないのです。
この点についても自著『戦後史の正体』で詳述しています。
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この条約(一九五一年締結の旧日米安保条約)がもつ意味について、米国の歴史学者マイケル・シャラーは『「日米関係」とは何だったのか』のなかでこう解説しています。
「アメリカが極東(東アジア)のいかなる場所に対しても使用できるように、『日本国内および周囲に陸海空の軍隊』を維持するよう日本側から『要請』することに決定した。これらの軍隊には日本の防衛は要求されておらず、いつでも引きあげることができ、また日本国内の騒乱にも使用することができた」
「えっ」と驚かれたかもしれません。「これらの軍隊には日本の防衛は要求されておらず、いつでも引きあげることができる」とシャラーは書いています。本当でしょうか。
条文を見てみましょう。
「この軍隊は、(略)日本国の安全に寄与するために使用することができる」と書かれています。一般の人はうっかり見すごしてしまうでしょうが、「使用することができる」というのは、法律上は義務ではないということを意味します。
ここはもっとも重要なところかもしれません。
日本の国民はほぼすべて、「日米安保条約を結んだことで、それからずっと日本は米国によって守られている」と思っています。では、旧安保条約の交渉担当者、ジョン・フォスター・ダレスはそのように思っていたでしょうか。まったく思っていませんでした。
ダレスは「フォーリン・アフェアーズ」誌一九五二年一月号で「米国は日本を守る義務をもっていない。間接侵略に対応する権利はもっているが、義務はない」と書いています。
米国は少なくとも一九六〇年まで、法的には日本防衛の義務を負っていなかったのです。
では一九六〇年に改訂された安保条約ではどうなっているでしょうか。
米軍の位置づけは新安保条約のもとでもなんら変わっていません。安保条約第五条には次のように記載されています。
「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」
これを読んで、多くの日本国民は「米国は日本を防衛する義務を負った」と考えます。
しかし、よく見てください。
「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処する」と書かれています。
また、議会の権限を規定する、米国憲法の第一条八節一一項には「戦争を宣言し」とあります。戦争宣言の権限は大統領にはなく、議会にあるのです。したがって日米安保条約は「米国議会がOKしたら戦争します」と言っているにすぎません。第二次大戦後、米国はさまざまな軍事展開をしてきましたが、議会の意志を無視して戦争状態に入ったことはありません。議会は当然、世論の動向を反映します。
のちほど詳しく触れますが、尖閣諸島問題に米国が軍事参加をすることを米国民は当然視しているのでしょうか。
私は二〇一五年一〇月二〇日、こうツイートしました。
「20日NHK4か国(日米中韓)世論調査「尖閣諸島を巡り日中が軍事衝突した場合、米国の軍派遣への賛否で、アメリカで六四%が反対」。米国は尖閣諸島で軍事に参加しない。そのことは安保条約違反ではない。「憲法に従い行動」、交戦権は議会権限。米軍が参加してくれると思い込む日本の甘さ。」
このツイートはかなりの反響を得ました。
「安保条約を読めば誰でもわかること。このような重大な事実を伝えるのがマスコミの本来の役目。だが日本のマスコミは隠蔽の方向に動く」
「もうすぐ中国はアメリカを超える軍事力を備える。アメリカ全土を破壊できる力を持つ。アメリカはたかが日本のためにそんな大国と戦うリスクを選ぶはずはない」
「どんな条約があろうが、自分の身は自分で守るのが基本」
「小さな島をめぐって武力で争うという発想自体が前世紀的。みんなで平和条約に署名して話し合えばいい」
「国家の行動原理は国益になるかどうかであって、
日本を守ることが国益に反すると判断すればアメリカは日本を見捨てる。
アメリカの国力が下がっているいま、それは実際に起こりうる」
ツイッターはおもしろい世界です。見ず知らずの人がコメントを交換する。昔では考えられなかったことです。
ちなみに、条約とはそういうものだ と反論する人もいます。そう主張される方はNATO条約(北大西洋条約)第五条を見てください。
締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。
ここでは、?地域の安全を回復するために、?兵力の使用を含め、?直ちに行動をとる、と明確に言明しています。日米安保条約の「憲法上の規定に従つて行動する」という記述とは、大きく異なっているのです。
by kuroki_kazuya
| 2016-06-05 06:05
| 対米 従属