スキーにはまっています。


by 幸田 晋

<丸森再耕>自然農法の理想 揺らぐ

<丸森再耕>

自然農法の理想 揺らぐ


河北新報 8/20(日) 13:30配信より一部

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170819-00000027-khks-soci

 福島県と境を接する丸森町は、東京電力福島第1原発事故に伴い、県内で最も深刻な放射能被害を受けた。原発事故前は移住者が多く、地方創生を先取りする動きが活発だったが、進行していた人口減と過疎に原発事故が追い打ちを掛けた。事故を乗り越えようと、再生を模索する丸森の歩みを追う。(角田支局・会田正宣)

◎原発事故を超えて/移住(上)先駆者の苦悩

 合掌造りの古民家は、がらんとしていた。丸森町小斎の農業体験館「里の家」。2004年に開館した町内初の農家民泊施設だ。山菜採りなどのワークショップを開き、学生の合宿を受け入れていたが、原発事故で休業に追い込まれた。

 「原発事故のときから時が止まったままです」。経営者の北村保さん(60)は寂しげな表情を浮かべた。妻みどりさん(60)が手掛ける
野菜の宅配出荷量は、
原発事故前の4分の1に減った。
東京など大都市圏の客の多くが、離れた


 夫妻は町の移住者の草分け的存在だ。1992年、小学3年の長男を連れ、保さんが勤務先の横浜市役所を辞めて小斎にIターン就農した。当時珍しかった無農薬や、土を耕さない「不耕起自然農法」に取り組んだ。

<「安全な食物を」>

 今のように移住が注目されていなかった時代。行政の体系的な政策はなく、個人のつてを頼る例が多かった。保さんは新規就農者のネットワークを結成し、移住希望者向けツアーを開いた。農や田舎暮らしに憧れた移住者は原発事故前、30世帯を超えた。

 夫妻の移住のきっかけの一つが、チェルノブイリ原発事故だった。みどりさんは「息子に安全な食物を食べさせたくて自然農法に行き着いた」と言う。

福島の原発と
東北電力女川原発。
双方から
一定程度離れた場所として丸森を選んだが、
「福島の事故の影響を受けるとは想像もしなかった」。


 原発事故に翻弄(ほんろう)された保さんは2011年11月、農家仲間と、農産物の放射線量を測る「みんなの放射線測定室てとてと」を大河原町に開設。保さんは「放射能をきちんと測り続ける大切さを伝えたい」と話す。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2017-08-21 06:55 | 東電 出鱈目 資本