官房機密費の闇を暴いたある警視庁捜査二課刑事の執念
2017年 09月 02日
ある警視庁捜査二課刑事の執念
ダイヤモンド・オンライン 9/1(金) 6:00配信より一部
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170901-00140543-diamond-soci
● 警視庁捜査二課は どんな部署なのか?
「二課の花はサンズイ」と言われる。警視庁捜査二課は、汚職や詐欺、横領、背任、選挙違反などを摘発する部署だ。「サンズイ」は汚職の「汚」のサンズイに由来する隠語で、ゴンベン(詐欺)やギョウヨコ(業務上横領)などに比べ事件の格が一段上とされる。二課の刑事にとって、汚職事件の摘発は、命がけで成し遂げたい悲願である。
『石つぶて――警視庁二課刑事の残したもの』は、警視庁創設以来初めてといっていい巨大な事件に立ち向かった刑事たちの活躍を描くノンフィクション。「石つぶて」とは、小さな石ころを意味し、転じて価値のないもののたとえにも使われるが、本書に登場する無名の刑事たちの奮闘ぶりは、眩い輝きを放って読者の心に強い印象を残す。
警視庁創設以来、二課が手がけた事件の中で、もっとも複雑かつ巨大な事件。それは外務省内閣官房報償費流用事件、いわゆる「機密費」流用事件だ。
発端はささやかな内部告発だった。外務省に出入りする業者から、九州・沖縄サミットで使われる物品納入に関して、不正があるのではないかという情報がもたらされたのだ。
それまで過去3回にわたって
東京で開かれたサミットの予算額は
最大でも15億円だったが、
初の地方開催となる
2000年の九州・沖縄サミットは、
約815億円という桁外れの予算がついた。
外務省の職員でさえ
「使い切れない」というほどの予算である。
当然のことながら水面下ではサミット特需を狙った業者の争奪戦が繰り広げられていた。
外務省ではサミットの裏方の一切をノンキャリア職員が取り仕切っていた。「ロジスティックス(logistics)」、通称「ロジ」と呼ばれる後方支援的な業務である。要人一行の出入国手続きから会場準備、車両や宿泊施設の手配など多岐に渡る業務はすべてノンキャリの領分だった。
サミットにまつわる物品納入疑惑となれば、サンズイの可能性がある。義憤に駆られた業者の告発は、ある政界のご意見番のもとにもたらされ、そこから捜査二課情報係主任の中才宗義という一匹狼の刑事のもとへと渡った。
・・・(途中、1ページあり)
結果的に松尾の尻尾を追い続けるのは捜査二課だけとなった。やがて総勢86名の特別捜査班が結成され、松尾のカネの解明にとりかかる。
本書の最大のヤマ場である松尾との攻防は、ぜひ本書をお読みいただきたい。当初、サンズイが疑われた事件は、捜査を進めるうちに想像をはるかに超えた姿を見せ始める。「機密費」という前代未聞の闇の領域へと刑事たちは踏み込んでいくことになるのだ。その入り口となるのが松尾だった。
裁判はとうに終わり、関係者も刑期を終えたいま、私たちはある程度の事件の概略を知っている。
事件は結局、詐欺事件として立件された。
デタラメな見積書を上げ、
差額を着服するという荒っぽい手口で、
松尾が内閣官房から引き出した内閣官房報償費は、
11億円5700万円にのぼった。
このうちの約9億8700万円を懐に入れていたとみられるが、
立件できたのは約5億円分である。
着服した金は十数頭もの競走馬の購入や
女たちとの遊興などに費やされていた。
松尾は3度結婚し、その間に少なくとも8人の女性と関係を持っていたとされる。参考人として聴取するなどした中央省庁の役人は735人にも達した。
だがたとえそうした外側の事実関係を知っていたとしても、本書の面白さは揺るがない。容疑事実が詐欺であることを知った松尾は、「だましていない」と激しく抵抗する。犯罪に手を染めていながら、公僕としての強烈なプライドもあるのだ。人の心とは、かくも複雑なものなのかと思い知らされる。そこに刑事たちも全身全霊でぶつかっていく。こうしたギリギリの人間ドラマに心を鷲掴みにされるはずだ。
● 人生の貧乏くじを引いた人は どこか敗北感を抱えている
清武英利は、巨大組織の論理に抗って生きる人々を描かせたら当代一の書き手である。彼が取り上げるのはきまって「人生の貧乏くじ」を引いてしまったような人々だ。本書で描かれる刑事たちのその後も例外ではない。あれだけの事件をモノにしたにもかかわらず、皆どこか敗北感を抱えて生きている。それはほったらかしにしていた家族への贖罪の思いであったり、長年奉職した組織に対する失望であったりする。
だが敗者を描きながら、清武作品の読後感はいつも清々しい。おそらくそれは、清武が描こうとしているのが「グッド・ルーザー(good loser)」だからではないか。「良き敗者」――負けても潔く前を向く人。敗れてもなお清廉さを失わない人物。
近年、警視庁のサンズイの摘発数は激減している。2014年にはとうとう贈収賄事件の摘発ゼロという不名誉な記録もつくってしまった。手間のかかる振り込め詐欺の捜査に人員を割かねばならない事情もあるかもしれないが、本書は中才のような仕事のできる「はみだし刑事」を警察組織が抱えきれなくなったことも背景にあるのではないかと示唆している。ガバナンスの強化は、裏を返せば失敗を恐れる風潮が組織にまん延することでもある。上層部がどこかで腹をくくらなければ、サンズイの摘発などできるわけがない。
だが「グッド・ルーザー」の魂はひっそりと受け継がれていた。本書のクライマックスは、退職後の中才のもとにもたらされたある吉報である。それは目をかけてきた親子ほども年の離れた女性刑事がようやく成し遂げた大仕事だった。無名の刑事の矜持が次世代にたしかに受け継がれていたことを知ったとき、あなたもきっと胸が熱くなるのを押さえられなくなるはずだ。
(HONZ 首藤淳哉)