スキーにはまっています。


by 幸田 晋

今、大事なのは事実と向き合うことだ 吉岡 忍×金平茂紀 

今、大事なのは事実と向き合うことだ 
吉岡 忍×金平茂紀 (1)


4月25日(月)14時57分配信より

月刊『創』2011年5・6月合併号より


吉岡 忍●48年生まれ。『墜落の夏』『M/世界の憂鬱な先端』など多くのノンフィクション作品を発表。日本ペンクラブ常務理事。BPO放送倫理検証委員会委員長代行も務める。

金平茂紀●53年生まれ。77年TBS入社。94~02年「NEWS23」担当デスク。04年ボーン上田賞受賞。05年報道局長。08年アメリカ総局長。10年帰国して「報道特集」キャスターに。


◆被災現場で目にした驚くべき光景◆


【吉岡】僕は今回、東北道ではなくて、新潟・山形・仙台を経由して石巻に入り、その途中で町や田園が津波にのみ込まれた名取川付近の被害を見たのですが、とても不思議な感じを受けました。僕は阪神大震災の時にも当日現地に入ったのですが、今回のような被害は見たことがない、全く違う光景でした。

 津波が襲ってこなかったところは、「ここは被災地か」と思うぐらい、破壊の痕跡がなかったんです。もちろん亀裂が入ったり、水・電気・ガスがないといった被害はありますが、津波に襲われた部分とそうでない部分が、はっきりと分かれていました。

 現地はリアス式海岸で、起伏が大きい地域です。同じ町の中でも壊滅状態のところと、いまにも営業できるんじゃないかと思えるような形で喫茶店の建物が残っているようなところが、すぐ近くにありました。

 神戸の町は瓦礫だらけでしたが、今回津波被害を受けた中には、流されて瓦礫もないような町もありました。これまでカトリーナ被害を受けたニューオリンズ、スマトラ島、台湾など、多くの被災地を見てきましたが、どれとも違う異常な印象を受けました。

 これだけ広範囲が壊滅状態な、惨憺たる現状を見たときに、メディア自身が何をどう報道したら良いのかと、戸惑ったと思います。だから、地震直後のメディア報道については、あまり批判する気はありません。災害報道の場数を踏んでいても関係なかった。地元メディアにしてみれば、彼ら自身が被災者であったこともあります。

 今回は「想定外」という言葉が、いろいろなところで使われました。被災者にとってみれば今回の被害は完全に想定外だったと思います。津波の「想定」が何だったかというと、1960年のチリ津波でした。当時の津波の高さは約5メートル。しかも、チリ津波を体験した人に聞いた話だと、今回に比べるとずいぶんマイルドなものだったようです。何度も大波が来ては引いていったという形で、津波が全く引かなかった今回とは違いました。

 今回の場合、波はもちろん一つ一つは引くのですが、震源地が近かったので、次から次へとぐいぐい押し寄せて来て、その結果全く引いて行かないという状況でした。波はリアス式海岸で狭められるので、太平洋岸に来た時点での波の高さと、内陸・湾に入ってきたときの波の高さは極端に変わります。太平洋岸では10から15メートルと言われていますが、内陸に入ると20から30メートル近くまで上がりました。防潮堤をはじめ、港湾施設、波止場、漁業関係の施設など、最大で5メートルの津波を想定していた対策施設は、一つも役に立ちませんでした。

【金平】僕の行った宮城県南三陸町は、明治三陸、昭和、チリ地震と3度の大津波を経験していて、防潮堤と防波堤、水門など、津波対策のモデル都市になっていた場所でしたが、これらの設備は機能しませんでした。津波は揺れから1時間以内という早さでやってきて、しかもその破壊力は圧倒的でした。人間が想定するということ自体の限界を感じました。地震・原発を含めて今後について言えば、人間の想定の限界に対して、僕らはもっと謙虚になるべきだと思いました。

 大津波警報も何度も修正されましたが、第一報では、岩手3メートル、宮城6メートル、福島3メートルです。マグニチュードも最初は7・9と言われていましたが、最終的には9・0まで、4回修正されました。どうしてこうなってしまったのか。


◆人間の作り上げた秩序が破壊された◆


【吉岡】ものすごい数の被災者がいることは間違いありませんが、内訳を見ていくと、私の想像より漁業関係者の被害は少なかったようです。多くの漁師はすでに沖に出ていて、港に停泊していた船は案外少なかった。それに比べると漁業関係でない、いわゆる一般住民の被害が多かったと聞きました。

【金平】無傷なところと、壊滅的なところとの差が激しいというのは、僕も感じました。南三陸町ではそれまでの経験から、学校は全て高台に建設していました。一方で役所は下にありました。漁業の町だから現場に近いところじゃないとまずいということだったのですが、消防署、病院、警察、町役場、防災対策本部のビルも津波にやられてしまいました。避難を呼びかけるアナウンスをしていた女性も流されました。ビルの2階にある放送室は、「想定」であれば大丈夫のはずでした。有名な話になりましたが、町長は防災対策本部ビルの屋上の鉄塔にすがりついてやっと助かりました。

「(船頭多くして)船、山に上る」というのは、ありえない結果をきたすという比喩ですが、取材に入って山から道を下りていくと、山間部にある民家の屋根に漁船が乗っていました。表現は難しいんですが、超現実主義的というか「ありえない・とんでもないことがおきている」と戦慄しました。下に降りるにしたがって、脈絡のないモノが塊になって堆積していました。「津波は、洗濯機に色々なものを入れて撹拌するのと同じような状態になる」と言われていますが、その通りでしょう。

 僕は水が引いた後の痕跡しか見ていないのですが、ありとあらゆるものがぐちゃぐちゃに残されていました。鮮明に覚えている光景は、タコの死骸のすぐ隣に女性向けの綺麗なスカーフやブラジャーがあって、漁網があって、ウキがあった。そういう序列で、泥まみれになって並んでいたんです。人間が作りあげてきた秩序が壊されたと感じました。

【吉岡】どんな優秀な画家、例えばダリですら想像できない組み合わせですね。その横に車がひっくり返って屋根の上に登っていて、牡蛎が散乱し、わかめもつながってはためいていた。見たことがない光景で、言葉になりませんでした。

【金平】表現のしようがないですね。

【吉岡】想定とは何なのでしょう。僕らは町をつくろう、企業をつくろう、産業を起こそうとするとき、ある種の想定をします。社会の連続性、想定のうえで、家族、町、都市、国をつくってきたわけですよね。

 少し話が飛躍しますが、「絶対安全・安心だ」といって原子力を推進してきた東京電力や官僚たちは「想定外」と言ってはいけないと思っています。その文脈で使って良い言葉ではありません。

 ですが、町づくりをしてきた人たち、商店街、漁師、水産加工をしてきた人たちは「想定外」という言葉を使って良いと思います。

【金平】防災課の人たちなんかは、最後まで一生懸命やっていて、南三陸町の被災者の中にも「行政は全く悪くない。僕らのためにやってくれている」という人がいました。

【吉岡】今回、地域行政・地方行政について「想定外はけしからん」とは言えないと思います。でも、だからといってこのままで良いわけではない。

 問われているのは別のところです。津波が来たら逃げるしかない。地震が来たら避難するしかないということをきちんと想定できていたかどうかです。町が壊れるのは想定外かもしれないが、津波が来たときに逃げるというのを正しい形で想定していたかということです。「命を守る」「そのために逃げる」。このことは言い続けていかなければならないと思います。 .
by kuroki_kazuya | 2011-04-27 02:10 | 地震 大災害