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by 幸田 晋

あのアメリカですら自国国旗の焼却が禁じられていない理由

あのアメリカですら
自国国旗の焼却が
禁じられていない理由

ニューズウィーク日本版
3月23日(金)19時10分配信より一部


冷泉彰彦(作家・ジャーナリスト)

 
たびたび、大阪の橋下市長がらみの話題で恐縮ですが、

国体(国のかたち)を考える上での良いレッスンに
なるのではと思い取り上げます。

今日は、国旗国歌への態度と「国際社会」の関係についてです。


 
今週の市長の発言の中に、

「国歌斉唱の際に手を前に組んでいるのは失礼で、
国際社会では許されない」

という主旨のものがありました。

この種のものとしては、

スポーツ選手などが海外での試合に臨んだ際に
国歌を歌っていないのは
「国際社会での常識に欠ける」というような言い方があり、

市長もそのような主旨での発言を以前にしていたと思います。

 
確かに1つの考え方です。

スポーツの対外試合というのは

一種の民間外交ですから、

それなりの外交儀礼というものがあり、

他国の国旗国歌への尊敬だけでなく、

自国の国旗国歌に対しても儀式の格調を維持するためにも、

国家を代表している敵味方相互を

しっかり認めるという意味合いからも必要だと思います。



 例えばサッカーのワールドカップの場合ですと、

各試合の際には選手たちは
開催国の少年少女と手をつないで入場するという
スタイルがあるのですが、


例えば南ア大会で、

南アの子供たちが日本選手と手をつないで入場してくれたとしたら、
それは南アとして日本に対して外交上の礼を尽くしているわけですから、

その子供たちと一緒に並んでいる中で
国歌が流れた際には、

日本選手は自国の国歌に礼節を示すことが、
その子供たち、
更には開催国や参加国全体への礼節になるのです。


 
ところが、
橋下市長の言う
「だから国内でも」というのはちょっと違うのです。

この点については、

1990年代から2000年代の米国での
議論が良い例だと思うので紹介します。


 

まず、1989~90年にかけて

「国内での自国国旗損壊禁止は違憲」という
最高裁判断が確定しています。

これは政治行動などで

自国の当時の政権を批判する主旨で、

自国国旗を焼却する行為に関して、

これを禁止する法律は

憲法の「表現の自由、思想信条の自由」に違反するかが問われた裁判で、

結果としては

「表現の自由、思想信条の自由」が優先するとして

禁止法は違憲という判例が

確定しているのです。



 
この話には複雑な背景があります。

アメリカの20世紀後半においては、

ベトナム戦争とベトナム反戦運動というのが

非常に厳しい歴史としてあったわけです。

その中で、

ベトナムでの民間人虐殺などに反対して、

自国国旗の焼却行為というのは広範に行われていました。

この問題が背景にあります。



 
ですが、90年代になって冷戦が終わり、

米国の軍事外交に対する姿勢が

「世界の警察官」としてのプライドを回復すると同時に、

少しずつ「草の根保守」的なムードが高まっていったのです。









・・・・







 
その後、9・11が発生し、

アメリカがアフガンとイラクでの戦争にのめり込む中で、

例えばイスラム圏では

それこそ米国国旗の焼却行為というのは頻発したわけです。

勿論、そうした行動に対してはアメリカは国として抗議し、

アメリカ世論も怒ったわけですが、



2006年という正に

「ポスト9・11」の世相の中で、

自国国旗の損壊禁止法が

最終的に上院での絶対過半数は取れずに終わりました。




そのぐらい、アメリカという国といえども

「自国国旗の損壊行為を禁止することへの自制」があるというのは

重要な事実だと思います。


 

何故なのでしょうか?

 
答えは単純です。

国旗国歌というのは

対外的にその国家の名誉を代表する一方で、


国内的には

思想信条の統制や政治的な権力への

従属を強いることに使ってはいけないからです。


民間を含む外交局面においては

自他の国旗国歌は尊重されなくてはならないが、

純粋に国内政治の局面においては、

国旗国歌の持つ権威を政治的な圧力や示威の道具とすることはできない

という考え方、そのような言い方もできると思います。



 
日本の法律においても

外国の国旗を損壊した場合には

これを罪に問う法律があります。



当然だと思います。

ですが、この法律は

自国国旗には適用はされません。


これも当然です。


日本の領土内において、

外国国旗の損壊は外交問題になりますが、

自国国旗の損壊は

国内問題であり、

国内問題の解決においては

言論の自由や思想信条の自由は優先されるべきだからです。

 

最初の問題もこれと全く同じです。


国内においては

「国体=国のかたち」自体を

論争の対象とするような言論の自由というのは、

民主主義国である最低条件の1つであり、


そのために外交上の国旗国歌への儀礼とは

意味合いが違うのです。



その意味で、国内儀式でも起立は必要でしょうが、

腕組みまで禁止するのは過剰、

まして国内問題に「国際常識」を絡めるのは

実は「国際的にも常識ではない」と思われます。

by kuroki_kazuya | 2012-03-28 04:56 | 憲法 | Comments(0)