勝手にやっている感じの官邸前抗議集会の魅力
2012年 07月 04日
官邸前抗議集会の魅力
2012年07月03日
WEBRONZAより一部
■政党、組合、メディアへの不信と疑い
金曜日ごとの首相官邸前の
抗議集会に参加している。
6月29日で4回目なのだが、
回を重ねるごとに人数が増えている
(警察発表が1万7000人、
主催者発表が15~20万人。
笑っちゃうくらいに差があるが、
少なくとも、どんどん増えていることはまちがいない)。
ようやく、
テレビや新聞などが報道しはじめたが、
この再稼働ハンタイの声は鎮静化することはないだろう。
最初に参加したとき
(主催者発表で4500人参加のとき)
にもすでに気づいたことだが、
日頃の抗議集会などの顔つき、
ファッションとかなりちがう。
ベビーカーや、
キャリーバンドに赤ちゃんを抱いている母親、
子どもの手をひく若いお父さん、
会社帰りの男女、
私のようなシニア、
さらにはもっと高齢の夫婦
(ペアールックの素敵な男女が、たまたま私の前にいた)……、
そのなかにTシャツの若者が交じる。
太鼓をたたく、
カスタネット(?)などの音曲も入る。
踊っているものもいる。
29日は横断幕をもった外国人も目立った。
もうひとつ気づいたことがある。参加者が手にしているプラカードである。素朴である。手作り感にあふれている。自作のイラストも多い。ムンクのパクリですといって笑った青年がいた。手書きの横断幕を掲げる女性もいた。そこには寄せ書きのように、いろいろな抗議文が並んでいる。見た目もかなりバラバラである。組織を誇示するような幟はほとんどない。個人個人が勝手に集まっている。
もうひとつ驚いたことがある。参加者の大半がスマートフォンを掲げ、抗議集会の様子を撮影していることだ。「大飯原発、再稼働ハンタイ」と叫びながら、撮影している。
これも不思議な光景だった。カメラとiPad(かなり多かった)を合わせると、膨大な動画が残される。持ち帰り、おそらく誰かに見せるのだろうが、こういった波及効果は想像を絶する。情報は広範囲に拡大しているのではないだろうか。
「アラブの春」とか、「ジャスミン革命」などと、みな「したり顔」で語るが、こと反原発にかぎり、現在の新聞・テレビの情報を信用していないことから起きていることのような気がしてならない。
・・・・
18時ごろに、地下鉄国会議事堂駅近辺に到着し、長蛇の列の最後尾に並び、何百回か分からないほど「大飯原発再稼働ハンタイ」を叫び、なんとなく帰る(デモではない)。そういう集会なのである。おそらく主催者といっても、普通の人がやっているのだろう。政党や組合なら、そういう式次第(?)に慣れている。
にもかかわらず集まるのは危機感が半端でないからだ。
感嘆した。
政党・組合はこういうエネルギーをまったくつかみ損なっている。
あるテレビで、組合や学生の旗や幟がない、市民の声だといったコメンテーターのわりと呑気な発言を聞いた。また、ツイッターの情報力とか、盛り上がりの原因を分析していたが、参加者の意識では、
組合は政党と同じで権益集団と見えていて、
信用できない存在だと思っているのではないか。
同時に、テレビや新聞などの情報も信用していない。
むしろ、そういうものへの不信から起こっているのではないだろうか。
茅ヶ崎からひとりで来たという女性がいた。いたたまれなくなり、駅前で、勇気をふるって、原発ハンタイを叫んでみたという。すると、すぐ4、5人が同調してくれて、いまでは2~300人が抗議デモを地元で行っているという。ブログがあるので、「茅ヶ崎」「反原発」で検索して、見てくださいといっていた。早速、パソコンで検索したら出てきた。こういう人が多いのだろう。
外側から取材するだけでなく、長蛇の列にマスメディアも並んでみたらいいと思う。すると、いかに参加者が既成のすべてのものに疑いをもっているかよく分かる。
鷲尾賢也(わしお・けんや)
1944年、東京生まれ。評論家。慶応義塾大学経済学部卒業。講談社入社。講談社現代新書編集長、学芸局長、取締役などを歴任。現代新書編集のほか、「選書メチエ」創刊をはじめ「現代思想の冒険者たち」「日本の歴史」など多くの書籍シリーズ企画を立ち上げる。退社後、出版・編集関係の評論活動に従事。著書に、『編集とはどのような仕事なのか――企画発想から人間交際まで』(トランスビュー)など。なお、歌人・小高賢はもう一つの顔である。小高賢の著書として『老いの歌――新しく生きる時間へ』(岩波新書)など。