スキーにはまっています。


by 幸田 晋

「死ぬ覚悟した」〜福島原発の元運転員、初証言

是非、時間をつくり、
ユーチューブで見てほしい、と、思います。(25分程度です) 
                                     黒木

「死ぬ覚悟した」
〜福島原発の
元運転員、
初証言


投稿日時: 08/12/2013 - 09:01
「ふくしまのこえ」より


東京電力
福島第一原子力発電所事故当時、

中央制御室(中央操作室=ちゅうそう)で
事故対応にあたっていた
元運転員(オペレーター)が
事故当時の状況を語った。


運転員としては初の証言となる。


今回インタビューに応えたのは、
事故当時、
福島第一原発発電所2号機の
運転員だった井戸川隆太さん27歳


井戸川さんは双葉町出身で、
中学卒業後に東京電力が運営する東電学園(東京)に入学。
電気に関する専門知識を学び、
18歳で地元・福島第一原子力発電所に配属された。
以降、原子炉を運転する現場で下積みを重ね、
25歳のときに運転員試験に合格。
2号機の運転員(オペレーター)を担ってきた。

2011年3月11日は非番だったが、
地震発生後すぐに、
自宅から発電所に急行。


津波が押し寄せていたため、
しばらく重要免震棟で待機していたが、
午後5時すぎに2号機の中央制御室に向かう。

中央制御室は電気もなく真っ暗で、
冷却のための注水ができないまま、
室内の線量は徐々に高くなっていったという。


中央制御室は
1号機と2号機の間にあり、
同じ場所を共有している。

11日の夜中にかけて、
1号機側の線量が高くなってきたため、
1号機の運転員らも2号機側に避難しながら、
パラメーターを確認する時だけ、

一瞬、
1号機側に移動するという状況だった。

井戸川さんは、
11日の段階で、
メルトダウンしているだろうと
考えていたという。


井戸川さんは内部被ばく量を
過少に評価されたと告発する。

2011年4月に
内部被ばく量を計測したにも関わらず、

個人の公式記録に残すデータは、
すでにヨウ素被曝の影響がなくなっていた7月の
データが採用されたという。

東京電力が認めた
井戸川さんの被曝線量は
85ミリシーベルトだ。


井戸川さんは
2012年1月に東京電力を退社した。

会社の上層部の考え方に
ついていけなかったためだという。

政府による
事故収束宣言が直接の引き金となった。


1号機爆発、
重要免震棟への退避、
そして、東京電力を辞める決断をするまで、
その一部始終を語った。

ゲスト:井戸川隆太さん(元福島第一原発発電所2号機の運転員)
聞き手:木野龍逸(ライター)
by kuroki_kazuya | 2013-08-15 06:58 | 核 原子力 | Comments(0)