電力会社前で脱原発を訴え続け765日
2013年 08月 22日
電力会社前で
脱原発を訴え
続け765日
オルタナ
8月21日(水)12時20分配信より一部
写真が「ぷんぷんおばさん」と6月8日に「当ブログへ掲載の一枚」
東京電力の福島原発事故に
衝撃を受け、
九州電力支社の前で
「原発を止めて。
再稼動をやめて。
全原発を廃炉に」
という要請活動を
2年以上続けている女性がいる。
大分市在住の
島田雅美さん(66)の活動は、
8月20日で
765日目を数え、
共感する人は
確実に増え続けてきた。
(環境ジャーナリスト=川崎陽子)
きっかけは、
3.11後に始まった
九州電力本社(福岡市)前での
抗議行動に
3日間参加したことだった。
毎日福岡までは行けないため、
2011年7月4日から大分支社の前で、
午後の決まった時間にプラカードを持って立つことを始めた。
立つ前には必ず、
その日の思いを込めた要請書を、
2代にわたる九電の社長宛に
届け続けてきた。
平日は電気料金支払いなどのカウンターにいる社員に手渡すが、
毎回礼儀正しく挨拶と御礼を言ってくれるそうだ。
休日には裏口のメールボックスに入れておく。
要請書は760通を超えたが、反応はない。
毎日福岡の本社に届けているとは聞いたが、
社長に届いているかを確認する術がない。
どんなに悪天候でも、
体調が悪くても、
10日間を除き毎日立ち続けた。
1年が経過した頃、
毎日一緒に立つ人が2人加わった。
450日目からは
午前と午後の2回に増やした。
高校生やベビーカーを押すお母さんなど、立ち寄ってくれる常連もできた。
無視する人、罵声を浴びせる人がいる一方で、
信号待ちで窓から応援する運転手や拍手をする通行人もいる。
猛暑の日には何人も差し入れをしてくれた。
・・・・(中略)
「7月に再稼動の申請をした九電は、
2000億円もかけて必死なので、
私たちもあきらめずに必死に闘わない限り、
今回も太刀打ちできないでしょう」
「子どもたちに、
絶対に負の遺産を遺したくない
というのが、
私の一番の願いです」
と、島田さんの
静かな闘いは、
今日も続いている。
脱原発を訴え
続け765日
オルタナ
8月21日(水)12時20分配信より一部
写真が「ぷんぷんおばさん」と6月8日に「当ブログへ掲載の一枚」
東京電力の福島原発事故に
衝撃を受け、
九州電力支社の前で
「原発を止めて。
再稼動をやめて。
全原発を廃炉に」
という要請活動を
2年以上続けている女性がいる。
大分市在住の
島田雅美さん(66)の活動は、
8月20日で
765日目を数え、
共感する人は
確実に増え続けてきた。
(環境ジャーナリスト=川崎陽子)
きっかけは、
3.11後に始まった
九州電力本社(福岡市)前での
抗議行動に
3日間参加したことだった。
毎日福岡までは行けないため、
2011年7月4日から大分支社の前で、
午後の決まった時間にプラカードを持って立つことを始めた。
立つ前には必ず、
その日の思いを込めた要請書を、
2代にわたる九電の社長宛に
届け続けてきた。
平日は電気料金支払いなどのカウンターにいる社員に手渡すが、
毎回礼儀正しく挨拶と御礼を言ってくれるそうだ。
休日には裏口のメールボックスに入れておく。
要請書は760通を超えたが、反応はない。
毎日福岡の本社に届けているとは聞いたが、
社長に届いているかを確認する術がない。
どんなに悪天候でも、
体調が悪くても、
10日間を除き毎日立ち続けた。
1年が経過した頃、
毎日一緒に立つ人が2人加わった。
450日目からは
午前と午後の2回に増やした。
高校生やベビーカーを押すお母さんなど、立ち寄ってくれる常連もできた。
無視する人、罵声を浴びせる人がいる一方で、
信号待ちで窓から応援する運転手や拍手をする通行人もいる。
猛暑の日には何人も差し入れをしてくれた。
・・・・(中略)
「7月に再稼動の申請をした九電は、
2000億円もかけて必死なので、
私たちもあきらめずに必死に闘わない限り、
今回も太刀打ちできないでしょう」
「子どもたちに、
絶対に負の遺産を遺したくない
というのが、
私の一番の願いです」
と、島田さんの
静かな闘いは、
今日も続いている。
by kuroki_kazuya
| 2013-08-22 06:56
| 九電労組