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by 幸田 晋

毛沢東主席 1969年に米軍情報機関による暗殺未遂事件あった

毛沢東主席 

1969年に
米軍情報機関による
暗殺未遂事件あった


NEWS ポストセブン 11月4日(月)7時5分配信より一部

中国の毛沢東主席の暗殺を狙った事件としては
1971年の林彪事件(党副主席だった林彪が暗殺未遂のあげく逃亡死した事件)が有名だが、

1969年にも米軍の情報機関による
毛沢東主席の暗殺未遂事件があったことが
中国ニュース専門のウェブサイト「前線」
の報道によって分かった。


この計画は
新中国建国20周年記念日に当たる1969年10月1日の国慶節に実施される予定だったため、
「69101計画」と名付けられていた。

だが、
中国側は3年も前から暗殺計画を察知し、
計画が実行される直前の1969年9月下旬、
米スパイが捕らえられ処刑されたことで、
毛主席が暗殺されることはなかった。

 
当時は冷戦時代で、
米国にとって1964年に核兵器を開発していた中国は
ソ連と並んで大きな脅威であり、
その最高指導者の毛沢東暗殺を狙っていた。

 
米軍の極東情報局では
毛主席ら中国の最高指導部が毎年、
国慶節に天安門楼上に上がって、
記念式典を行なうことに目をつけ、

20周年記念日の1969年10月1日に
天安門楼上に時限爆弾を仕掛けて、
毛主席らの暗殺を計画したという。

 
同情報局の最高責任者は1966年6月、
暗殺を実行する工作員として、リサ・アートという女性の諜報員を選んだ。
リサはただちにフィリピンのマニラに飛んで準備にかかった。

 
ところが、この情報は
同情報局内に潜伏していた
中国側スパイから周恩来首相に伝えられ、

中国側もスパイをマニラに送りこんだ。

それが、東南アジアを担当エリアにしている
中国国務院西南局の黄国華だった。
黄は西南局第一の美男子といわれており、
色仕掛けで女性工作員の計画を阻止しようとの狙いもあった。


・・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2013-11-05 06:33 | 権力 暴力装置