スキーにはまっています。


by 幸田 晋

透明な力を 第6部・原発避難(1)親と離れ生活 我慢もう無理

透明な力を 
第6部・原発避難(1)
親と離れ生活 
我慢もう無理


河北新報 2014年03月27日木曜日より一部

福島第1原発事故で、
多くの子どもが古里での暮らしを奪われた。
親と離れて避難生活を送る子どもも少なくない。

家族離散に追い込まれた
福島県飯舘村出身の姉妹3人にとっての原発事故、
そして今をつづる。
(震災と子ども取材班)=第6部は5回続き


両親は帽子を目深にかぶり、マスクをして出て行った。
顔がこわばっているのが子どもの目にも見て取れた。
 
2011年3月27日。
佐藤ちさとさん(15)は
避難先の栃木県那須塩原市の親戚宅から福島県飯舘村に帰る父(42)と母(42)を見送った。
12歳で小6の時だった。



・・・(中略)



親戚宅にいつまでも厄介になれず、3人で市内のアパートに移った。
月3万5000円の2Kだった。
 
両親は毎週末にやって来た。1週間分の会話を2日間に詰め込んだ。
 
長女の夏休みに合わせて、久々に全員がアパートにそろった。
「お姉ちゃんがいわきに行ってせいせいする」。強がる元気は残っていた。
 
狭い家で、寝ても覚めても祖母と姉と顔を突き合わせる。

ストレスが募り、何でもないことで姉とけんかした。

顔を合わせたくない時も同じ部屋にいるしかなかった。
 
12年4月。避難生活は1年を過ぎた。感情を抑えられなくなり、便箋にぶつけた。
 
<毎日イヤなことばっかで、学校では1人で過ごす時間が多いんだ。1人でいる時間は寂しい>
 
宛先は一番上の姉。

強がる余裕はもうなかった。
by kuroki_kazuya | 2014-03-28 06:59 | 核 原子力