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by 幸田 晋

<衆院選>何を問う(3)戦後70年/情報統制の流れ再び/秘密保護法に危機感

<衆院選>何を問う(3)
戦後70年/
情報統制の流れ再び/

秘密保護法に危機感


河北新報 2014年12月07日日曜日より一部

国会で審議されている特定秘密保護法案について、テレビのニュースが伝えている。
昨年秋、新沼富寿子さん(77)=仙台市青葉区=は
画面を見ながら、70年前の光景が頭をよぎった。

<財産全て失う>
 
「すぐに満州を引き払って内地に戻れ」
 
軍服姿の父が切羽詰まった表情でまくし立てた。
理由を聞いても、何も言わずに悲しげに黙している。
 
新沼さんは生後間もなく、
仙台から旧満州(中国東北部)に家族で移り住んだ。
8歳まで満州で過ごす。

父は電力会社「満州電業」の社員。
母や一緒に移住した叔父らは喫茶店を経営し、
戦時中も不自由のない暮らしが続いた。
 
1944年夏、34歳だった父にも召集令状が届いた。
入隊から日を置かず、
「何としても家族と親族全員と会いたい」と連絡があった。

ソ連国境近くの部隊を訪ねた。「すぐに満州を引き払え」。
姿を見せた父が切り出した。
驚いて顔を見合わせる母と叔父。
理由を尋ねても父は「内地に戻れ」と繰り返すばかりだった。

敗戦など想像すらしていなかった母らは、
父の指示には従わず、満州で終戦を迎えた。
喫茶店はソ連軍に接収され、財産の全てを失った。
終戦から1年後、着の身着のままで仙台に引き揚げた。


ソ満国境で父が戦死したと伝えられたのは、終戦から9年後。
まともな武器もなく、集団自決のような最期だったと
後に聞いた。遺骨は戻ってこなかった。

「お父さんは『日本は戦争に負けるから本土に戻れ』と言いたかったのよ」。
13年前に亡くなった母は、
満州での思い出話になると必ずそうつぶやいた。

<自由な社会を>

高校を卒業してバスガイドになった。
歴史の勉強をするうちに、
父があの時、黙り込んだ理由を知った。


軍機保護法。
治安維持法などとともに国民の情報を統制した法律だ。
最高刑は死刑。
父は罰則の対象になるのを恐れたのだろう。
「家族を守りたくても言葉にできず無念だったでしょう」

若者に戦争体験を語り継ごうと2年前、
仙台市戦災復興記念館(青葉区)の語り部になった。
「若い人には戦争がどんなものかを知った上で、国が進むべき道を判断してほしい」

安倍政権は
廃案を求める声に耳を貸そうとせず、
秘密保護法を成立させたように思う。
「秘密」の定義が曖昧な点など、
秘密保護法が軍機保護法と重なって見えた。


ことし夏には集団的自衛権の行使容認も閣議決定された。
戦前に逆戻りしている
気がしてならない。



・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2014-12-08 06:43 | 憲法