スキーにはまっています。


by 幸田 晋

残留放射能:米軍、極秘調査 広島・長崎で1950年 危険性否定後も

残留放射能:米軍、
極秘調査 

広島・長崎で1950年 
危険性否定後も


毎日新聞 2015年08月05日 東京朝刊より一部

 広島、長崎への原爆投下から4年半後の1950年3月、米軍が両被爆地の「黒い雨」降雨地域で残留放射能を極秘に調査していたことが分かった。毎日新聞が内部資料を入手した。担当した科学者は土壌調査の結果などから「長期にわたって放射能が残留することを証明できた」と報告していた。
米国は戦後早い時期に
残留放射能の危険性を否定したが、
冷戦下で核戦略を進めていた米軍は
強い関心を持ち、
調査を継続していたことが明らかになった。



 原爆投下後の残留放射能を巡って米政府は45年9月、「人体に影響はない」との公式見解を公表。ただ、その後も日米の科学者が48年まで広島、長崎で残留放射能を複数回調査したことが判明している。50年調査は、米軍が核戦略を進めるために47年に設立した「軍特殊兵器計画」(AFSWP)が主導した。

 資料は広島、長崎に拠点があった米原爆傷害調査委員会(ABCC)の幹部と米本国の科学者らが交わした書簡や会議録など約100枚で、米学士院(ワシントン)の文書館に残されていた。
検出した放射性物質は
「比較的低レベル」との記述があったが、
調査結果は「機密扱いにされるべきだ」と記されていた。
研究者によると、
AFSWPの核関連文書は
機密解除されていないものが多い。


 調査は委託された米科学者2人が50年3月、広島と長崎に入り、ABCCの医師も同行した。放射性降下物を含む「黒い雨」が降った広島市己斐(こい)地区と長崎市西山地区の計11カ所でサンプルを採取。放射線を感知するフィルムや測定器を使い、10カ所で環境放射線を明らかに超える値の反応があったとしている。

 調査した科学者は「一部は野菜が栽培されている畑の土壌から検出された」と報告。ABCC幹部らは、放射性物質が呼吸や食物を介して体内に取り込まれたかを調べる方法を検討した。採取されたサンプルは米国へ送られた。

被爆地の残留放射能調査に詳しい
葉佐井博巳(はさいひろみ)広島大名誉教授(原子核物理)は
「米軍が早い時期に残留放射能の影響を否定したのは、
原爆投下責任が広がらないための政治的メッセージ。
一方で50年代は
ABCCが長期的な調査を視野に入れていた時期で、
残留放射能の影響を懸念していたのではないか」と話している。



・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2015-08-06 06:55 | 対米 従属