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by 幸田 晋

『日本のいちばん長い日』半藤一利氏「無責任国家」日本論ず

『日本のいちばん長い日』半藤一利氏

「無責任国家」日本論ず


NEWS ポストセブン 8月10日(月)16時6分配信より一部

 この国はかつて、終戦という大きな決断を昭和天皇に委ねた。ほかの誰もが責任を回避するために……。

 ご聖断から玉音放送までの1日を描いた映画『日本のいちばん長い日』のリメイク版が話題を呼んでいる。それは、70年前といまで「何も変わっていない」ことに、私たちが気づいたからではないだろうか。原作者の半藤一利氏が、「無責任国家」としての日本を論じる。

 * * *
 戦前の教訓があるから、日本人は意思決定のシステムを少しは直すのかと思ったら、70年経ってもまったく変わっていない。それが現在の率直な感想です。

 戦時中、陸軍参謀本部第一部の第二課(作戦)にはエリート中のエリートが集められ、すべての作戦計画はここで立案され、戦争を指導しました。彼らは機密を要求されたこともあって、外部との接触を避け、第二部(情報)からの情報までもときに無視し、いかなる批判にも耳を貸さなかった。

 一部の知的エリートがサザエの殻のように閉じこもり、「これが日本のためになる最高のプランだ」と考えたことを推進する。

戦前は軍部の秀才がそれをしたが、
戦後は官僚に変わり、
現在の安倍政権では「内閣官房」に変わっただけです。

このエリート集団に共通しているのは、
責任を取らないことでしょう。



・・・(中略)


南雲は真珠湾攻撃には成功したものの、1942年6月のミッドウェー海戦では、戦局が一転するほどの大敗を喫しました。ところが、その責任を負わされたのは指揮官ではなく、下級の幕僚たちだけで、南雲はその後、第三艦隊司令長官の任に就いています。

 日本軍の場合は、責任を取らされて一度降格させられると、キャリアとしては終わりになるので、上層部はお互いに責任を問わないぬるい風土があったのです。敗因を徹底的に分析し、責任の所在を明らかにすることを避けていたわけです。

これは新国立競技場の問題とまったく同根です。
戦後70年たっても、
日本人は歴史から教訓を何も学ばず、
同じことを繰り返しているのです。

by kuroki_kazuya | 2015-08-11 06:35 | 日本の今後