「検証なき国はすたれる」と書いた日経新聞「風見鶏」に思う
2016年 04月 26日
みなさま、時間のアル時に
是非、「天木 直人の公式ブログ」へ
お出で頂きたい。と、思います。<<KK>>
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「検証なき国はすたれる」と書いた日経新聞「風見鶏」に思う
「天木 直人の公式ブログ」 2016年4月25日より転載
きのう4月24日の日経新聞「風見鶏」で、秋田浩之編集委員が「検証なき国は廃れる」という見出しの論説を書いていた。
そこで書かれている内容は、日本と言う国は誤りを検証しない国であるという嘆きだ。
そして、その典型例として書かれていたのが、あのイラク戦争に賛成した日本の検証のなさだ。
欧米諸国とのあまりの違いを、次のように指摘している。
今年の6月に、英国政府が2009年に設置した独立調査委員会が8年越しの検証結果を発表する。
尋問に応じたのはブレア首相(当時)をはじめ当時の要人や軍幹部百数十人にのぼる。
イラク戦争を始めた米国は、すでに約600ページの報告書を10年ほど前に出している。
イラク戦争に参加しなかったオランダさえも、戦争を支持したことが正しかったかどうか、約500ページの検証結果を発表している。
ところが日本は民主党政権の指示を受けた外務省が、民主党政権が終わる直前の2012年12月に、わずか4ページの検証要旨を公表しただけだ。
さすがに、このまま日本が検証なしに終わらせるわけにはいかない、そういって秋田浩之編集委員は次のように締めくくっている。
「日本は先の大戦で、自国民だけで約310万人の命を失った。再び、国策を誤ることはないのか。国の検証力の乏しさを考えると、不安になる」と。
なぜ今ごろになって日経新聞はこのような論評を掲げたのだろう。
私が想像するに、今年の6月に英国の検証調査委員会の膨大な検証結果が公表されると、その時点で再びイラク戦争を検証すべきではないか、という声が高まるからだ。
私はまったく知らなかったのだが、確かにこの検証報告が今年の6月に発表されれば一大ニュースになる。
いやがおうでも世界はイラク戦争について思い出さざるを得ない。
しかし、残念ながら今年6月に英国の検証結果が公表されても、日本ではいまさらイラク検証の気運は起こらないだろう。
ひょっとしたら、この日経新聞の記事も、それを見越した上で、格好をつけてこのようなガス抜きの記事を書いたのかもしれない。
なぜ私がそう思うか。
それは、日本では、外務省や政府は決してあのイラク戦争を検証ようとしないからだ。
それどころか、超党派の国会議員も、市民団体も、本気であのイラク戦争を検証する気はないからだ。
その証拠に、彼らの誰一人として、私への聞き取りをしようとしたものはいなかった。
私が自己宣伝したいからそう言っているのではない。
うぬぼれてそう言っているのではない。
もし本気で検証するのなら、少なくとも、当時あの戦争は間違いだったと小泉首相(当時)に進言して解雇された私への聞き取りは不可欠であったはずだ。
なぜ彼らの誰一人として私に証言を求めようとしなかったのか。
私の存在に気づかなかったのか。
そんなはずはない。
結果として私があまりにも正しかったからだ。
そんな私に証言を求めるのはしゃらくさいからだ。
もしいつの日か、日本があのイラク戦争を本気で検証するようになり、私にも証言を求めるようになったらどうするかって。
残念ながらそのような時は来ないだろう。
そして、たとえそのような時が来たとしても、私は証言には応じないだろう。
へそを曲げて応じないのではない。
もう当時の事はとっくに忘れてしまったからだ。
物事には何ごともタイミングというものがある。
タイミングを逸してしまえばすべては無意味になるということである(了)
*****
広島訪問のリハーサルだったオバマのアルゼンチン訪問
「天木 直人の公式ブログ」 2016年4月25日より転載
きょう4月25日の朝日新聞「ここに注目」という記事でブエノスアイレス発五十嵐大介記者が、3月24日に行われたオバマ大統領のアルゼンチン訪問について、要旨次のように書いていた。
すなわち40年前の1976年3月24日、アルゼンチンでクーデターが起き、軍事政権による左翼活動家の弾圧が始まった。約3万人の市民が殺されたり、行方不明になった。
この事件は米政府が弾圧を支援したとされ、川には拉致された人が飛行機から投げ落とされた。
オバマ大統領は、3月24日のアルゼンチン訪問で、謝罪こそしなかったものの、米国大統領として当時の米国政府の対応の不備を認めた。
これに対して、地元では強い反発が起きた。
「米国が弾圧を推進し、拷問の仕方を教えた。オバマがこんな日に来るなんて挑戦的だ」と、大規模な怒りのデモが起きた。
そういう記事だ。
私はこの記事を読んでピンと来た。
そういえば3月24日のアルゼンチン訪問の直前に、オバマ大統領はキューバを訪問した。
そしてその時もそうだった。
キューバとの国交断絶の誤りを認めるかわりに未来志向を強調した。
これを要するに、オバマ大統領は、キューバ訪問、アルゼンチン訪問をへて、広島を訪問する事を決めていたのではないか。
米国大統領としての最後の年に、歴史に名を遺す大統領になるつもりで準備を進めて来たのではないのか。
米国外交の負の遺産であるアルゼンチン、キューバを訪れ、暗黙のうちに米外交の過ちを認める。
しかし、決して明確な謝罪はしない。
虫がよすぎるではないか。
そういってキューバのカストロ前議長がオバマ大統領を批判した。
ブエノスアイレスの市民は憤り、アルゼンチンのジャーナリストは「起きた事の歴史的な認識は変わらない」と書いた。
果たしてオバマ大統領の広島訪問の時はどうだろう。
私は、キューバ訪問やアルゼンチン訪問の時とは違って、日本政府はもとより、日本国民もメディアも歓迎一色になると思う。
オバマ大統領の広島訪問を批判する声は出てこないと思う。
そして、それはそれでいいのではないのか。
対米従属でいいと言っているのではない。
日本国民がおとなしいからだと言っているのではない。
それが日本のよさだと考えたい。
そう考えるのは、冷酷な国際政治の現実のなかでは人が良すぎるということになるのだろうか(了)
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「検証なき国はすたれる」と書いた日経新聞「風見鶏」に思う
「天木 直人の公式ブログ」 2016年4月25日より転載
きのう4月24日の日経新聞「風見鶏」で、秋田浩之編集委員が「検証なき国は廃れる」という見出しの論説を書いていた。
そこで書かれている内容は、日本と言う国は誤りを検証しない国であるという嘆きだ。
そして、その典型例として書かれていたのが、あのイラク戦争に賛成した日本の検証のなさだ。
欧米諸国とのあまりの違いを、次のように指摘している。
今年の6月に、英国政府が2009年に設置した独立調査委員会が8年越しの検証結果を発表する。
尋問に応じたのはブレア首相(当時)をはじめ当時の要人や軍幹部百数十人にのぼる。
イラク戦争を始めた米国は、すでに約600ページの報告書を10年ほど前に出している。
イラク戦争に参加しなかったオランダさえも、戦争を支持したことが正しかったかどうか、約500ページの検証結果を発表している。
ところが日本は民主党政権の指示を受けた外務省が、民主党政権が終わる直前の2012年12月に、わずか4ページの検証要旨を公表しただけだ。
さすがに、このまま日本が検証なしに終わらせるわけにはいかない、そういって秋田浩之編集委員は次のように締めくくっている。
「日本は先の大戦で、自国民だけで約310万人の命を失った。再び、国策を誤ることはないのか。国の検証力の乏しさを考えると、不安になる」と。
なぜ今ごろになって日経新聞はこのような論評を掲げたのだろう。
私が想像するに、今年の6月に英国の検証調査委員会の膨大な検証結果が公表されると、その時点で再びイラク戦争を検証すべきではないか、という声が高まるからだ。
私はまったく知らなかったのだが、確かにこの検証報告が今年の6月に発表されれば一大ニュースになる。
いやがおうでも世界はイラク戦争について思い出さざるを得ない。
しかし、残念ながら今年6月に英国の検証結果が公表されても、日本ではいまさらイラク検証の気運は起こらないだろう。
ひょっとしたら、この日経新聞の記事も、それを見越した上で、格好をつけてこのようなガス抜きの記事を書いたのかもしれない。
なぜ私がそう思うか。
それは、日本では、外務省や政府は決してあのイラク戦争を検証ようとしないからだ。
それどころか、超党派の国会議員も、市民団体も、本気であのイラク戦争を検証する気はないからだ。
その証拠に、彼らの誰一人として、私への聞き取りをしようとしたものはいなかった。
私が自己宣伝したいからそう言っているのではない。
うぬぼれてそう言っているのではない。
もし本気で検証するのなら、少なくとも、当時あの戦争は間違いだったと小泉首相(当時)に進言して解雇された私への聞き取りは不可欠であったはずだ。
なぜ彼らの誰一人として私に証言を求めようとしなかったのか。
私の存在に気づかなかったのか。
そんなはずはない。
結果として私があまりにも正しかったからだ。
そんな私に証言を求めるのはしゃらくさいからだ。
もしいつの日か、日本があのイラク戦争を本気で検証するようになり、私にも証言を求めるようになったらどうするかって。
残念ながらそのような時は来ないだろう。
そして、たとえそのような時が来たとしても、私は証言には応じないだろう。
へそを曲げて応じないのではない。
もう当時の事はとっくに忘れてしまったからだ。
物事には何ごともタイミングというものがある。
タイミングを逸してしまえばすべては無意味になるということである(了)
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広島訪問のリハーサルだったオバマのアルゼンチン訪問
「天木 直人の公式ブログ」 2016年4月25日より転載
きょう4月25日の朝日新聞「ここに注目」という記事でブエノスアイレス発五十嵐大介記者が、3月24日に行われたオバマ大統領のアルゼンチン訪問について、要旨次のように書いていた。
すなわち40年前の1976年3月24日、アルゼンチンでクーデターが起き、軍事政権による左翼活動家の弾圧が始まった。約3万人の市民が殺されたり、行方不明になった。
この事件は米政府が弾圧を支援したとされ、川には拉致された人が飛行機から投げ落とされた。
オバマ大統領は、3月24日のアルゼンチン訪問で、謝罪こそしなかったものの、米国大統領として当時の米国政府の対応の不備を認めた。
これに対して、地元では強い反発が起きた。
「米国が弾圧を推進し、拷問の仕方を教えた。オバマがこんな日に来るなんて挑戦的だ」と、大規模な怒りのデモが起きた。
そういう記事だ。
私はこの記事を読んでピンと来た。
そういえば3月24日のアルゼンチン訪問の直前に、オバマ大統領はキューバを訪問した。
そしてその時もそうだった。
キューバとの国交断絶の誤りを認めるかわりに未来志向を強調した。
これを要するに、オバマ大統領は、キューバ訪問、アルゼンチン訪問をへて、広島を訪問する事を決めていたのではないか。
米国大統領としての最後の年に、歴史に名を遺す大統領になるつもりで準備を進めて来たのではないのか。
米国外交の負の遺産であるアルゼンチン、キューバを訪れ、暗黙のうちに米外交の過ちを認める。
しかし、決して明確な謝罪はしない。
虫がよすぎるではないか。
そういってキューバのカストロ前議長がオバマ大統領を批判した。
ブエノスアイレスの市民は憤り、アルゼンチンのジャーナリストは「起きた事の歴史的な認識は変わらない」と書いた。
果たしてオバマ大統領の広島訪問の時はどうだろう。
私は、キューバ訪問やアルゼンチン訪問の時とは違って、日本政府はもとより、日本国民もメディアも歓迎一色になると思う。
オバマ大統領の広島訪問を批判する声は出てこないと思う。
そして、それはそれでいいのではないのか。
対米従属でいいと言っているのではない。
日本国民がおとなしいからだと言っているのではない。
それが日本のよさだと考えたい。
そう考えるのは、冷酷な国際政治の現実のなかでは人が良すぎるということになるのだろうか(了)
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by kuroki_kazuya
| 2016-04-26 06:15
| 日本の今後