スキーにはまっています。


by 幸田 晋

伊方原発再稼働阻止現地5日間行動に参加して

伊方原発再稼働阻止現地5日間行動に参加して
青山晴江(たんぽぽ舎ボランティア)

たんぽぽ舎です。【TMM:No2842】
2016年7月27日(水)午後 09:09
地震と原発事故情報より一部

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┗■1.「皆さんありがとう!伊方では40年ぶりのデモができました」と
 |  地元の方より言われました
 |  伊方原発を止めるようさらに多くの人々の思いを結集したい
 |  伊方原発再稼働阻止現地5日間行動に参加して
 └──── 青山晴江(たんぽぽ舎ボランティア)

 伊方現地行動5日間の簡単なレポートを送らせていただきます。

◎ 印象に残ったのは前半の佐田岬先端方面でのチラシ配りをした村々でした。急峻な斜面に積み上げられた狭い石段の路地を登り下りしながら一軒ずつ声掛けして、7月24日の「伊方原発再稼働反対全国集会」のチラシを配ります。
 数10から100所帯程の集落。不在の民家や蔦(つた)に覆われた廃屋も見られました。停めてある街宣車のマイクから「佐田岬の美しい海と山。ここをフクシマのようにしてはいけません。再稼働を許してはいけません。」と黒田節子(原発いらない福島の女たち)さんの声がする。
 窓から聞いていたおばあさんが、「あれはテープじゃないな。しゃべっとる。福島から来とるんか。ご苦労様じゃ。原発はいらん。」と話してくれました。
 〈不安と反対の気持ちを今こそ形にあらわそう〉そう書いてあるチラシをうなづきながら受け取ってくれる人も多かったです。
 汗を拭き拭き7人ほどで村々を回りました。利権がらみの原発が壊してきたものは何か、消費地元の都会生活者の私が見ようともしなかった地方の犠牲とは何か、潮風の中に立ちそんなことを思っていました。

◎ 伊方原発ゲート前集会は7月24〜26日と3日連続して行われました。この間いろいろな方がスピーチされました。警備の厳しさと規制はかつてないものでした。
25日午後に伊方町役場前からデモをしました。先導車、ギターとパーカッションの歌、後ろでコールと、80人ほどが思い思いに歩きました。
 解散時に、地元の方が「皆さんありがとう、ありがとう!伊方では40年ぶりのデモができました。」と言われ、みな熱い思いがしました。
 その後二手に分かれて、「九町(くちょう)」で「若狭の家」木原壯林さんの、〈再稼働時にまたもトラブル〉のチラシ撒きと伊方町でのアンケート訪問などしました。
 反対だけど原発で親戚中働いてるから言えない、地震があって怖い、伊方停止中に自分が困る事は何もなかったと膝をさすりながら玄関先で答えてくれた女性がいました。
26日もゲート前。再稼働と言われていた日です。3日目まで残った数10名が各地からの声をあげました。命の源である海の微生物、大地を殺しながら運転する、それが原発だという話などに、しんとして(たぶん若い警官達も)耳を傾けていました。

◎ 26日午後、松山市内の「伊方原発3号炉運転差止 仮処分審尋報告会」に参加。河合弁護士他による第一回目の報告。メディアも市民参加者も多く関心の高さを表していました。
今回も各地の方々にお会いしましたが、現地に行くことができなくても支援してくれたたくさんの人々の気持ちを感じながら行動していました。
 このまま伊方原発を止めるように、さらに多くの人々の思いを結集したいです。


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┗■2.「広島原爆写真集、長崎原爆写真集」がJCJ賞に選ばれました
 └──── 新藤健一 (写真家)

  2015年夏、写真家の小松健一氏と新藤健一が監修した「決定版 広島原爆写真集」「決定版 長崎原爆写真集」(勉誠出版)が日本ジャーナリスト会議の2016年度JCJ賞に選ばれました。
 この写真集は「反核写真運動」が収集保存してきた広島・長崎の原爆記録写真の決定版。
 被爆直後から生命の危険を顧みずシャッターを切った広島(24人)と長崎(11人)の写真家、計35人が残した830枚を2冊に収蔵。写真説明は日本語と英語を併記しています。


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┗■3.あいまいな「地震予知」がもたらす悲劇
 |  イタリアで地震予知失敗の裁判
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその160
 └──── 島村英紀(地震学者)

◯ 2009年春、イタリアで地震予知に失敗した学者の裁判は、イタリアの最高裁でひっそりと終わっていた。昨年11月20日のことだ。最高裁は日本と同じく、法律や手続き上の間違いがなければ第二審を認めてしまうのが普通だからである。
 2014年11月の二審では、2012年10月の初級審の7人全員の有罪がひっくり返されて、学者は無罪、政府の防災庁幹部1人だけが執行猶予付きの禁錮刑になっていた。これが最高裁で確定していたのだ。

◯ イタリア中部ラクイラ。ここはふだんから月に数回の地震がある。大地震の前の半年間はさらに活発になった。大地震が来るという独自の地震予想を出す学者も現れた。地元の人々のなかに不安が拡がっていた。
 このため「国家市民保護局」は学者を含む「大災害委員会」を開き「大地震は来ない」という安全宣言を出した。じつは政府が人心を鎮めようという方針を委員会の前に決めていた。政府が学者に期待したのは科学者のお墨付きだけだったのである。

◯ 安全宣言が出されたので外に寝ていた人たちも家に帰った。しかし一週間後の4月6日午前3時半、マグニチュード(M)6.3の大地震が起きて309人が死亡してしまった。
 第二審での判決言い渡しのとき傍聴席にいた犠牲者の遺族らから「恥を知れ」との怒りの声が上がった。また、遺族らは「国家は裁かず、自らの保身に走った」「犠牲者は今回の判決で再び殺された」などと語った。

◯ イタリアの裁判は対岸の火事ではない。日本でも、国が安全を保証したのに大地震が起きたことがある。さる4月16日に熊本で起きた最大の地震の前がそうだった。4月14日の地震の後、気象庁や政府が「家に帰れ」と呼び掛けていたのだ。
 もっと大きな問題もある。いまは南海トラフ地震と一緒に起きると考えられている東海地震は「大震法」(大規模地震対策特別措置法)という法律が出来ていて、気象庁にある判定会(地震防災対策観測強化地域判定会)が「予知宣言」を出し、それによって新幹線も東名道路も、デパートやスーパーの営業も止めることになっている。
 この地震予知が可能かどうかは強く疑われているが、阪神淡路大震災が起きたあとも、また東日本大震災が起きたあとも、政府の公式見解は「東海地震だけは予知できる」というものだ。

◯ しかし、なにか前兆風のものが見つかって、いったん「宣言」が出されてから、すぐに大地震が来なかったらどうするのか、その方針は決まっていない。宣言を取り消せる科学的な根拠や方程式はなにもない。
 新幹線や東名道路が止まり、静岡県などが孤立した状態は経済的にも人心にも打撃が大きい。それを何日も続けるわけにはいくまい。
 こうして判定会の科学者や気象庁の委員が、迷いながらでも、渋々でも、「宣言の解除」を出す。
 しかしそのあとで大地震が襲ってきたら・・。イタリアとまったく同じことが起きるに違いない。

   (島村英紀さんのHP「 http://shima3.fc2web.com/ 」
   「島村英紀が書いた『夕刊フジ』のコラム」より7月22日の記事)
by kuroki_kazuya | 2016-07-28 06:15 | 核 原子力 | Comments(0)