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by 幸田 晋

台湾民衆の闘いに学び日本でも「原発ゼロ」を達成しよう

台湾民衆の闘いに学び日本でも「原発ゼロ」を達成しよう
台湾では「2025年原発ゼロ」を閣議決定した

       佐藤大介
       (ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)

たんぽぽ舎です。【TMM:No2923】
2016年11月2日(水)午後 08:56
地震と原発事故情報より一部

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┗■2.台湾民衆の闘いに学び日本でも「原発ゼロ」を達成しよう
 |  台湾では「2025年原発ゼロ」を閣議決定した
 |  台湾民衆の反原発運動はドイツのそれに匹敵する歴史
 |  50万人集会が行なわれた
 └──── 佐藤大介
       (ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)

○ 台湾では、「2025年原発ゼロ」を公約としていた
蔡英文が今年5月
に総統に就任し、今月それを閣議決定した。ドイツの脱原発がヨーロッパ
に影響を与えているのと同様に、アジアに大きな影響を与えるだろう。
 台湾民衆の反原発運動は、ドイツのそれに匹敵する歴史をもっている。
国民党軍事独裁の戒厳令の下で3カ所に2基ずつ計6基の原発が建設され
たが、1987年に戒厳令が解除されて民主化闘争が高揚し、その大きな軸が
第四原発反対運動であった。毎年、数万人規模のデモが行なわれ、野党民
進党も原発反対を綱領としていた。

○ しかし、96年に第四原発の入札が行われ、GE社が落札、日立と東芝
が原子炉を製造することになる。地元住民たちは住民投票で勝利し、また、
漁船を繰り出して海上デモも行なった。97年には住民20人が来日して通産
省、東芝、日立へ抗議の申し入れを行なった。
 私たちは、日本からの初の本格的原発輸出に対し、署名運動、不買運動、
集会、国会での質問、株主総会参加、政府との交渉など、さまざまな反
対運動を展開したが、力は足りなかった。99年に着工されてしまった。

○ 2000年、「第四原発中止」を公約とした陳水扁政権が誕生し、建設中
止を発表したが、政局は混迷を極め、翌年2月に陳総統が妥協し建設は進
められてしまった。
 しかし、福島原発事故後、ふたたび大規模な反原発デモがくり返され
た。13年には台湾全土で20万人以上がデモに参加した。また、様々な非暴
力直接行動が展開された。
 そして14年、3〜4月「主権を返せ」と立法院占拠が行なわれた。立法
院の中には若者が多かったが、実は多くの市民団体やNGOが支えていた。
 毎日数千人の市民が立法院のまわりを囲んで盾となり、3月30日には50
万人集会が行なわれた。原発推進も含めて、馬英九政権の民意無視・独断
専行は度を越していたのだ。

○ 立法院占拠の熱気冷めやまぬ4月22日、第四原発の廃止を訴えるため、
民主化闘争のシンボルである林義雄さんが、死を覚悟して無期限断食を開
始した。
 これに呼応する形で、全国126団体による「原発廃止全国ネットワーク」
が動き出した。27日、「原発を終わらせよう、主権を市民に返せ」と叫び
ながら、5万人のデモ隊が台北駅前で、人数の勢いで警察の封鎖を突破し、
8車線道路を15時間占拠した。
 馬英九政権は妥協し、2基ともほぼ完成していた第四原発の「稼動凍
結」を発表した。そして2016年民進党新政権の「原発ゼロ」へとつな
がった。

 くわしくはノーニュークス・アジアフォーラム編著「原発をとめるアジ
アの人びと」を読んでほしい。

 台湾民衆の闘いに学び、日本の「原発ゼロ」を達成しよう。
 そして原発輸出をとめ、アジアの「原発ゼロ」を達成しよう。
by kuroki_kazuya | 2016-11-03 06:15 | 核 原子力 | Comments(0)