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by 幸田 晋

【チェルノブイリ原発事故から30年(1)】いまだに始められない廃炉作業

【チェルノブイリ原発事故から30年(1)】

いまだに始められない廃炉作業


ニュースソクラ 12/19(月) 15:30配信より一部

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161219-00010000-socra-int

朽ち果てた石棺を、さらにドームで覆う

 事故からちょうど30年の今春、私はチェルノブイリ原子炉から100メートルの地点まで足を踏み入れた。事故炉を鉄とコンクリートで塗り固めた、所謂「石棺」が目の前にそびえていた。

 それは至る所に錆が目立ち、屋根が裂け、雨もりが発生していた。放っておけば放射能漏れは避けられない。いま、その上を覆う更に一回り大きな金属製のドームが建造中である(写真参照)。

 強固に見える石棺も30年もたなかった。時間が経つにつれて建屋自体の重みで地盤の不等沈下が起こり、あちこちで裂け目ができたからだ。雨漏りは汚染水の発生につながった。封じ込めたはずの事故原発が、いま悲鳴を上げているようにみえた。

 福島第一原発事故と並ぶ史上最大の原発事故、1986年のチェルノブイリ。旧ソ連(現ウクライナ)で起こったこの事故は、30年経たいまも現地での傷跡は深い。

 原発事故の30年目に当たる今年の4月26日、私はウクライナの現地を訪問し、死者のための追悼集会に参加した。原発現場には4月29日に訪問した。私が初めてチェルノブイリ原発を訪れたのは1992年だったが、繰り返し訪問しつつ、もう24年が経った。

 事故当時を振り返ろう。チェルノブイリ4号炉は事故の際、中性子減速材の黒鉛に着火し、水で消火出来なくなった。そのため、空から大量(約6000トン)の砂や鉛、セメントなどを投下して10日後にようやく鎮火した。そして、放射能の放出は止まった。

 その上を鉄とコンクリートで覆ったのが「石棺」である。朽ちた石棺を覆うドーム建設計画は今から5年以上前に持ち上がり、世界中の企業のコンペが行われた。日本からも大手ゼネコン数社が参加したが、落札し、現在ドームを建設しているのはフランスの大手原子力産業アレバ社である。

廃炉作業は
事故から30年経った今も手つかずで、
ドームを被せた後に
ようやく石棺の解体作業が始まる、という。
ウクライナ政府によれば
廃炉までには更に50年はかかる可能性がある。

事故から数えれば
80年という気の遠くなる作業だ。

その間、原発は経済的には全くプラスの価値を社会にもたらさない。
潤うのは原発を作り、廃炉や事故炉に対応する原子力産業のみである。

・・・(中略)

 森林被曝はウクライナだけではない。10年ほど前にモスクワ郊外のブリャンスクで山火事があったときも、粉塵が風にのって市内に流れ込み、大騒ぎになった。

 この問題は福島も抱えている。福島は落葉しない松やスギなど針葉樹が多く、木々にため込まれた放射能はなかなか減らない。松などからは数万ベクレルの放射能が測定されている。

福島は山火事が多くはないが、
万一、大規模な山火事が起これば、
福島原発事故事故時並みの
放射能汚染問題が起こりかねない。
福島の森は潜在的な事故炉なのである


■河田 昌東(分子生物学者)
1940年生まれ。分子生物学者、NPO法人チェルノブイリ救援・中部理事。
チェルノブイリや福島などの原発事故被災地の支援など、多くの社会運動に関わる。
「遺伝子組み換え情報室」代表などを務める。
著書に『チェルノブイリと福島』(緑風出版)など。
by kuroki_kazuya | 2016-12-20 06:45 | 核 原子力 | Comments(0)