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by 幸田 晋

耳に残る「助けて」の声 母子3人犠牲 米軍機墜落40年

耳に残る「助けて」の声 
母子3人犠牲
 

米軍機墜落40年


東京新聞 2017年9月25日 夕刊より一部

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017092502000249.html

 厚木基地(神奈川県大和市、綾瀬市)を飛び立った米軍機が横浜市青葉区の住宅地に墜落し、母子三人が犠牲になった事故から二十七日で四十年を迎える。「お兄ちゃん助けて」。亡くなった女性の悲痛な叫びを、兄の土志田(どしだ)隆さん(68)=青葉区=は今も忘れられない。「偶然、妹が犠牲になったが、在日米軍を巡る状況は当時から何も変わっていない」と訴える。 (梅野光春)

 一九七七年九月二十七日昼すぎ。土志田さんは知人から「妹さんの家が燃えている」と電話を受け、車で向かった。電車で三駅の近さなのに渋滞で進まない。カーラジオは「ジェット機が墜落した」と臨時ニュースを繰り返す。ようやくたどり着いた妹の和枝さん=当時(26)=宅は焼け落ち、家の前に飛行機のエンジンが落ちていた。

 入院先に駆けつけると、大やけどで全身に包帯を巻かれた和枝さんが「お兄ちゃん助けて」と言う。「大丈夫。心配するな」と返すのが精いっぱいだった。和枝さんの三歳と一歳の息子は翌日、亡くなった。

 「和枝のやけどは全身の80%に及んだ。皮膚移植の手術を繰り返し、化膿(かのう)を防ぐ消毒液の風呂に漬かる時は『殺して』と叫ぶほど、痛がっていた」と土志田さん。和枝さんは四年四カ月の闘病生活の後、三十一歳で息を引き取った。

 死の三年前の七九年、事故の悲惨さを伝える絵本「パパ ママ バイバイ」が出版された。著者の早乙女勝元さん(85)は「『パパ、ママ、バイバイ』の言葉を残して亡くなった幼子や、手術に耐える和枝さんがふびんだった」と回想。そして「日米安保条約がある限り、いつでも、どこでも起こり得る事故。だから忘れてはいけない」と呼び掛ける。

事故では、
墜落直前にパラシュートで脱出したパイロットが
不起訴とされ、
刑事責任を問われることはなかった

背景には
「在日米軍の公務中の事件の一次裁判権は米国にある」
などと定めた日米地位協定があった


・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2017-09-26 06:48 | 対米 従属 | Comments(0)