スキーにはまっています。


by 幸田 晋

「津波なんて絶対に来ない!もし来たら俺がなんとかする!」って

「津波なんて絶対に来ない!
もし来たら俺がなんとかする!」って
  勝俣恒久社長(当時、東電社長)は
言いました。(会場爆笑)(2004年)

       
小山芳樹(たんぽぽ舎ボランティア)

たんぽぽ舎です。【TMM:No3340】
2018年4月13日(金)午後 09:52
地震と原発事故情報
より一部

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┗■1.「津波なんて絶対に来ない!もし来たら俺がなんとかする!」って
 |  勝俣恒久社長(当時、東電社長)は言いました。(会場爆笑)(2004年)
|  NONUKES voice15掲載「原発は人々の活力を奪う」木幡ますみさんの
 | 文章を読んで…雑感
 └──── 小山芳樹(たんぽぽ舎ボランティア)

 せっかく定期購読しているのだから、たまにはしっかり読もうと「NONUKES
voice15」を開きました。
 現在、福島県大熊町町議会議員の木幡ますみさんの文は、大変興味深いと思い
ます。
 深刻な話の中にも、ユーモアたっぷりで講演を聞いても文章を読んでもあっと
いう間に時間がたってしまいます。
 小見出しと共に若干の引用も含めて紹介いたします。

◎「特攻隊員だった義父は原発に反対だった」
◎「知人友人たちの早過ぎる死」
◎「勝俣恒久が私に言ったこと」
 木幡さんが2004年に東電福島第一原発のモニターになった時の話。
 東電の役員たちが一同に並んで「さあ、みなさん自由になんでも言って下さい、
なんでも聞きますよ」って言ってくれたわけです。
 私はその通りに素直に信じる人なんで「原発は危ないからもうやめましょう」
なんて言ったんです。「コストがかかるからといって自家発電を上(原発敷地より
高い所)に上げないってことはないでしょ!津波来たらどうするんですか!」て言
ったら、「津波なんて絶対に来ない!もし来たら俺がなんとかする!」って勝俣
社長は言いました。(会場爆笑)
◎「第一原発の『洗濯屋さん』」
◎「最終処分場候補地になるよう埼玉県にお願いしてきました」
◎「自宅は作業員の休憩所」
◎「愛犬ポチと三匹の猫」
◎「イノシシの酒宴」
 事故から4年くらいで大熊に帰ったときの話。私が近づいたら、気持ちいいな
あ~って感じで私の顔をじっと見る。その後、生まれて初めてイノシシにベロで
舐められました。(会場驚き爆笑)で、またそれが酒臭い。
◎「原発は活力を奪う」
◎「マクドナルドと病院」
◎「帰還でなく違うところに『町』をつくること」
◎「東京五輪のための『復興』なのか」
 いつの間にか福島県は「放射能」をどこかに置いたまま、「復興」ばかり一所
懸命、進めようとしています。まだまだ原発事故は終わっていません。福島県と
住民のことを考えていただきたいです。福島でも子どもや孫の命を守ろうとして
必死にやっている人たちがいることを、ぜひ知っていただきたいと思います。
(2018年1月、愛媛県八幡浜市・江戸岡地区公民館にて)


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┗■2.「辺野古ゲート前連続6日間 500人結集 あなたの思い
 |   どうか辺野古へ」辺野古新基地建設ゆるさない!
 | 「沖縄辺野古ゲート前500人結集」応援ツアーについて
 └──── 山田洋子 (たんぽぽ舎ボランティア)

 3月31日に「沖縄辺野古ゲート前500人結集」たんぽぽ舎応援ツアーの参加者募
集を締め切りました。現在の状況をお知らせいたします。

期日 第1団 4月22日(日)~4月25日(水) 参加者12名(女性6、男性6)
   第2団 4月24日(火)~4月27日(金)
       参加者15名(女性11、男性4)内2名は第1団より引き続き参加。
行動予定
   「辺野古ゲート」前での座り込み、「辺野古浜」での連帯集会参加、
   「抗議船」での海上行動、「高江N1テント」等の見学

 ※4/25の連帯集会には総勢25名で新基地反対の声を挙げます。
  尚、このツアーにカンパを寄せていただいた方がおいででした。
  感謝申しあげます。


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┗■3.戦後平和運動のスター吉田嘉清さん逝く-運動の発展と統一に尽力-
 |  「違った立場、考え方があっても反核平和のためには手を結ぶべきだ」
 | 「何よりも大衆が運動の分裂を望まず統一を求めている」…吉田嘉清
 └──── <岩垂 弘(いわだれひろし):ジャーナリスト>

◎ 戦後平和運動のスターが逝った。平和運動家の吉田嘉清(よしだよしきよ)さ
ん。3月21日、東京都杉並区の自宅で心不全で死去、92歳だった。ひたすら原水
爆禁止運動の発展とその統一のために力を注いだ一生だった。(中略)

 私が早大に入学したのは1954年だから、大学構内で吉田さんの姿を見かけるこ
とはなかった。
 が、学生運動指導者としての吉田さんの令名は学内に鳴り響いていた。
 とりわけ、第1次早大事件で学生たちが大学本部に突入した際、吉田委員長が
本部のバルコニーから学生たちに向けて行った演説が名演説であったと学生間で
語り継がれていて、「吉田カセイ」は伝説上の人物となっていた。(中略)

◎ 1977年に原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)、原水爆禁止日本国民
会議(原水禁、社会党・総評系)に青年団、婦人団体、生協などの市民団体を加
えた運動の統一が実現、世界大会も統一して開くようになる。吉田さんは原水協、
原水禁、市民の3組織共闘の推進に力を注ぐ。
 運動の統一は国民に歓迎され、運動は空前の高揚を迎える。82年にニューヨー
クの国連本部で開かれた第2回国連軍縮特別総会に向けて3組織が共同して展開
した「核兵器完全禁止と軍縮を要請する署名」は8000万筆を超す。
 そして3組織は合わせて1200人を超すNGO代表団を軍縮特別総会へ派遣した。
 吉田さんは3組織の共闘のために尽力するかたわら、第五福竜丸の保存にも奔
走する。(中略)

◎ しかし、原水協に影響力をもつ共産党が吉田さんを批判、原水協が吉田さん
を代表理事から解任した。(中略)
 これに対し、吉田さんは共産党の批判にも、原水協による処分にも従わず、
「違った立場、考え方があっても、反核平和のためには手を結ぶべきだ」「何よ
りも大衆が運動の分裂を望まず、統一を求めている」と主張し続けた。
 原水禁と市民団体は共産党と原水協のやり方に反発し、ついに1986年に3組織
共闘が瓦解し、原水禁運動は再び分裂してしまう。以来、その状態がずっと続い
ている。
 数年前から、脱原発運動や安保法制廃止運動では、原水禁を支える旧総評系労
組と原水協を支える全労連系労組の共闘が行われるようになったが、原水禁と原
水協には共闘の気配は全くない。

◎ 吉田さんは原水協を追われた後、志を同じくする人たちと「草の根平和運動
のセンターになりたい」と「平和事務所」を設立し、チェルノブイリ原発事故で
被ばくしたエストニア共和国の人たちの救援運動などを続けた。その功績により、
2010年、同国政府から赤十字勲章を授与された。(中略)
世界はまた核軍拡に向かいつつある。新たな原水禁運動の高揚が切に望まれる
というものだ。「反核平和のためには広範な人々が手を結ばなくては」という吉
田さんの訴えに今こそ耳を傾ける時ではないか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載 http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コードサイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/ より抜粋


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by kuroki_kazuya | 2018-04-14 06:15 | 核 原子力 | Comments(0)