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by 幸田 晋

【ゴジラと憲法】(1) 日本見続けてきた怪獣/戦後史と平和の語り部

【ゴジラと憲法】(1) 

日本見続けてきた怪獣
/戦後史と平和の語り部


アジアプレス・ネットワーク 5/8(火) 11:23配信より一部

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180508-00010000-asiap-soci

いまや日本だけでなく世界にその名を知られる怪獣ゴジラ。だがゴジラが生まれた背景とその尊いメッセージを知る人はどのくらいいるだろうか。安倍政権のもと平和憲法を骨抜きにする数々の法案が成立するなか、いまこそゴジラを語り部として日本の戦後史を振り返ってみたい。(伊藤宏/新聞うずみ火)

◆「平和ぼけ」と戦前回帰

広島・長崎への原爆投下、東京や大阪への大空襲などによって、多くの人々が犠牲となった先の戦争。国家の命令によって自国の犠牲者を生み出したばかりか、他の国々の人々の尊い命をも奪い去った戦争に敗れて70年余りが経った。その間、私たちは平和と繁栄を謳歌してきたと言われる。「平和ぼけ」という言葉まで生まれるほどに……。しかし、本当に私たちは平和な社会を生きてきたのであろうか?

確かに、戦後の日本は「平和憲法」の下に、他国と戦闘状態に陥ることはなかった。少なくとも戦後数十年は、日本国憲法が目指した社会、黒田清さんが思い描いた「皆が真ん中から等距離の『マル社会』」を実現しようとする努力が続けられてきた。だが、時を重ねるにつれて、日本はその理想と徐々にかけ離れた社会に向かい始める。そんな日本も、東日本大地震・大津波という未曾有の自然災害によって、一度は立ち止まり軌道修正する貴重な機会を得た。ところが、安倍政権の誕生以降、日本社会は完全に踵を返し、戦前に向かって邁進を始めてしまった。

集団的自衛権容認の閣議決定、特定秘密保護法の制定、安全保障関連法案の制定、共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法の制定など、戦後政治の中で培われてきた数々の「戦前回帰への歯止め」を取り払ってきたのが安倍政権に他ならない。そして今度は、いよいよ「平和憲法」の改正を行おうとしている。

その一方で、
森友学園問題をめぐって
明らかになった公文書の改ざんをはじめ、
従来であれば即、内閣総辞職ものの事件を連発しながら、
未だに権力の座にあり続け

しかも一定の支持を得ているのもまた、
安倍政権なのだ。

なぜ、安倍政権は我が物顔で数々の「反憲法」「反民主主義」的な政策を実現できるのであろうか。そしてなぜ、このような政権が支持され続けるのであろうか。今こそ私たちは、平和と民主主義について真剣に考え、安倍政権の是非を問うことが求められている。

そのためには、先の戦争の反省から二度と戦争をしないと決意して出発したはずの日本が、どのような経過をたどって現代に至ったのかを、今一度振り返ることが必要だと思う。私はその語り部として、怪獣ゴジラを選んだ。ゴジラは、日本を代表するキャラクターの一つではあるが、馴染みのない方にとっては「なぜゴジラ?」と怪訝に思われるであろう。私が自称「ゴジラ研究家」だから、というのが端的な理由なのだが、実はそれだけではない。

◆誕生日は「文化の日」

ゴジラを(正確にはゴジラ映画を)語り部とした第一の理由は、映画はその時代の社会状況を必ず反映するということだ。もちろん、映画から社会状況を読み解くのであれば、ゴジラ映画以外にも素材は数多くある。怪獣映画ということであれば、ガメラでも良いだろうし、特撮のキャラクターということならば、ウルトラマンや仮面ライダー等々もその候補になり得る。それがなぜゴジラなのかというと、中断期間があるものの、第1作の公開から最新の第30作に至るまで、実に60年以上にわたって作られてきたシリーズ映画だからだ。

第二の理由は、ゴジラの誕生日(公開日)にある。第1作が公開されたのは1954年11月3日の「文化の日」であった。「文化の日」とは、「国民の祝日に関する法律」の第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。日本国憲法が公布された日であり、憲法が平和と文化を重視していたことから、48年に「文化の日」と定められた。つまり、ゴジラは憲法と誕生日が一緒なのである。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-05-09 06:35 | 憲法