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by 幸田 晋

<原発のない国へ 基本政策を問う> (7)賠償の準備 1200億円のみ

<原発のない国へ 基本政策を問う> 

(7)賠償の準備 1200億円のみ


東京新聞 2018年7月20日 朝刊より一部

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201807/CK2018072002000157.html

 春には山菜、秋にはキノコが近くの林に自生する。自宅の脇を流れる沢ではイワナ取り。夕暮れともなれば仲間や近所の人が集まり、わいわいガヤガヤ-。

 二〇〇六年に埼玉県から福島県飯舘村に移り住んだ三角常雄さん(68)にとって、村の生活はまさに「人生の楽園」だった。それが、一一年の東京電力福島第一原発事故で破壊された。

 医薬品メーカーやビル管理会社に勤めていたが、田舎暮らしをするのが夢で、飯舘村の原野を購入。切り開いて、平屋建ての別荘風の家を新築し、家族より一足先に移住した。

 村は岩の産地。敷地を整地した際に無数の大きな石が出た。この石で玄関に続く階段やバーベキューコーナーを作り、伐採木でウッドデッキや薪小屋も作った。村の仲間が重機で手伝ってくれた。六年かけて「理想形の七割」ができた。この春には家族を迎えようという矢先、原発事故が起きた。

 あれから七年が過ぎた。家の周りは除染され、放射線量は、家の中なら毎時約〇・三マイクロシーベルトと国の長期目標(〇・二三マイクロシーベルト)を少し上回る程度には下がった。

 だが、
山とともに生きる暮らしは
完全に壊された。

家を一歩出れば、線量ははね上がり、
敷地内の林では
二マイクロシーベルトを大きく超える。

林の土を本紙が
二地点で測定したところ、
一キログラム当たり
一万八〇〇〇ベクレルと
四万九〇〇〇ベクレルだった。

厳重な分別処理が求められる基準の
二~六倍のレベル。
十分の一になるまで百年かかる。


 「こんな状況じゃ孫が来たって遊ばせられない。山菜もダメ、キノコもダメ。何のための山暮らしか。もう住めない。理想の暮らしを目指して、少しずつ築いてきた年月は無駄になり、
仲間は
新潟や山形、東京などに移住して、
離ればなれになってしまった


・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-07-21 06:45 | 核 原子力