あの時立ち止まって、核燃料サイクルを考え直していれば・・・
2018年 08月 04日
【平成クロニクル(7)】
あの時立ち止まって、
核燃料サイクルを
考え直していれば・・・
8/3(金) 12:10配信より一部
ニュースソクラ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180803-00010001-socra-soci
東海村JCO臨界事故(99年9月) 反原発の知事や官僚は行く手を阻まれた
茨城県那珂郡東海村は、日本で初めて「原子力の火」が灯った村である。1957(昭和32)年に日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)と、日本原子力発電(株)が拠点を置き、一躍、原子力のメッカに躍り出た。
だが、60年超の歳月が過ぎ、いまは原発推進国策の矛盾が濃い影を落とす村に変わっている。たとえば、東海原発と敦賀原発1号機の廃炉が決まり、経営が苦しい日本原電のなりふり構わぬ延命策が象徴的だ。
同社は、今年11月に40年の運転期限を迎える東海第2原発の「20年運転延長」を目ざし、原子力規制委員会に再稼働を申請した。規制委員会は安全対策の方針が新規制を満たすと認めたが、東海第2原発の半径30キロ圏には96万人が暮らす。
事故に備えた避難計画の策定が義務づけられているのだが、この範囲の14市町村では、再稼働反対の声も根強く、まったく先は見通せない。
あのとき、ちゃんと立ちどまって原発推進策を考え直していれば、別の方法があったのではないか、と思われる事件や事故は何度も起きていた。
1999年9月30日、東海村の核燃料製造関連会社、(株)ジェー・シー・オー(JCO=住友金属鉱山の子会社)が起こした臨界事故は、その最たるものだ。国内で初めて事故被曝で死亡者が出ている。
この日、JCOの作業員たちは、高速増殖炉の研究炉「常陽」の核燃料をつくるため、硝酸ウラニル溶液を沈殿槽に流し込む作業をしていた。ところが、10時35分ごろ、沈殿槽内で硝酸ウラニル溶液が臨界状態になり、警報が激しく鳴った。
「青い光が出た」と作業員は後で証言している。正規のマニュアルを無視し、ステンレス製のバケツを使ったズサンな作業で事故は起きた。
JCOから科学技術庁(現文部科学省)に第一報が入り、救急車が出動。被爆した3人の作業員を病院に搬送する。2名は高線量被曝によって数カ月後に多臓器不全で亡くなっている。
同日12時40分ごろ、小渕恵三首相に事故が報告された。東海村では、事故現場の半径350メートル以内の約40世帯(150人)に避難要請がなされ、500メートル以内の住民に避難勧告が出された。10キロ以内の住民約31万人に屋内退避や換気装置の停止が呼びかけられた。
常磐自動車道は閉鎖され、JR東日本の常磐線、水戸―日立間は運転が見合わされる。自衛隊にも災害派遣要請が行われた。ものものしい雰囲気だった。
・・・(途中略)
JCO事故から5年後、当時、福島県知事だった佐藤栄佐久に原発関連のインタビュ―をして、ハッとした。佐藤は、国が押し進める核燃料サイクル政策、とくに使用済み核燃料の再処理に対し、「立ちどまって考えよう」と反旗をひるがえしていた。
佐藤が真っ先に口にしたのは、JCO事故だった。
「事故の直後、茨城県に隣接する、いわき市の保健所に駆けつけました。事故発生時に東海村付近を通過した住民が、放射線量の測定のために詰めかけていた。保健所の職員は休日返上で対応しており、激励しましたが、検査を受けるために並んでいた人たちの顔色は真っ青でした。とくに不安そうな表情で検査を受けていた親子連れの姿が強く、心に残りました。これはいけない。原発の国民理解にとって、事故を起こさないことが第一。まことに残念で、怒りを覚えました」
佐藤は、エネルギー問題を福島県全体の課題と受けとめた。専門家を招いて核燃料サイクルの研究を重ね、実現性に疑義を抱き、再考を促すようになった。
ちょうどそのころ、経産省資源エネルギー庁の若手官僚たちが匿名で「19兆円の請求書 止まらない核燃料サイクル」というA4判25頁の文書をまとめ、メディアに配ろうとしていた。
「19兆円の請求書」には制度的矛盾が的確に記されており、「立ちどまって議論を」と彼らも唱えていた。朝日新聞のベテラン記者とともに私は取材を進め、週刊朝日に「『上質な怪文書』が訴える核燃中止」という記事を掲載した。
だが……その後、佐藤は収賄容疑で逮捕され、執行猶予付き有罪判決を下される。「19兆円の請求書」の若手官僚たちはエネルギーとは無関係な部署に飛ばされた。
・・・(途中略)
結局、高速増殖炉の開発は、常陽のデータを基に建設した原型炉「もんじゅ」が度重なる事故で再稼働の見通しが立たず、廃炉が決まって頓挫した。一兆円もの税金をつぎ込んだ末の、見るも無残な自己崩壊だった。
使用済み核燃料の再処理問題は、先日、日米原子力協定が「自動延長」されて様相が変わった。自動延長だから、いままでどおりと思ったら大間違いだ。今後は、日米のどちらかが半年前に通告すれば協定は終了できる。
・・・(後略)
あの時立ち止まって、
核燃料サイクルを
考え直していれば・・・
8/3(金) 12:10配信より一部
ニュースソクラ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180803-00010001-socra-soci
東海村JCO臨界事故(99年9月) 反原発の知事や官僚は行く手を阻まれた
茨城県那珂郡東海村は、日本で初めて「原子力の火」が灯った村である。1957(昭和32)年に日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)と、日本原子力発電(株)が拠点を置き、一躍、原子力のメッカに躍り出た。
だが、60年超の歳月が過ぎ、いまは原発推進国策の矛盾が濃い影を落とす村に変わっている。たとえば、東海原発と敦賀原発1号機の廃炉が決まり、経営が苦しい日本原電のなりふり構わぬ延命策が象徴的だ。
同社は、今年11月に40年の運転期限を迎える東海第2原発の「20年運転延長」を目ざし、原子力規制委員会に再稼働を申請した。規制委員会は安全対策の方針が新規制を満たすと認めたが、東海第2原発の半径30キロ圏には96万人が暮らす。
事故に備えた避難計画の策定が義務づけられているのだが、この範囲の14市町村では、再稼働反対の声も根強く、まったく先は見通せない。
あのとき、ちゃんと立ちどまって原発推進策を考え直していれば、別の方法があったのではないか、と思われる事件や事故は何度も起きていた。
1999年9月30日、東海村の核燃料製造関連会社、(株)ジェー・シー・オー(JCO=住友金属鉱山の子会社)が起こした臨界事故は、その最たるものだ。国内で初めて事故被曝で死亡者が出ている。
この日、JCOの作業員たちは、高速増殖炉の研究炉「常陽」の核燃料をつくるため、硝酸ウラニル溶液を沈殿槽に流し込む作業をしていた。ところが、10時35分ごろ、沈殿槽内で硝酸ウラニル溶液が臨界状態になり、警報が激しく鳴った。
「青い光が出た」と作業員は後で証言している。正規のマニュアルを無視し、ステンレス製のバケツを使ったズサンな作業で事故は起きた。
JCOから科学技術庁(現文部科学省)に第一報が入り、救急車が出動。被爆した3人の作業員を病院に搬送する。2名は高線量被曝によって数カ月後に多臓器不全で亡くなっている。
同日12時40分ごろ、小渕恵三首相に事故が報告された。東海村では、事故現場の半径350メートル以内の約40世帯(150人)に避難要請がなされ、500メートル以内の住民に避難勧告が出された。10キロ以内の住民約31万人に屋内退避や換気装置の停止が呼びかけられた。
常磐自動車道は閉鎖され、JR東日本の常磐線、水戸―日立間は運転が見合わされる。自衛隊にも災害派遣要請が行われた。ものものしい雰囲気だった。
・・・(途中略)
JCO事故から5年後、当時、福島県知事だった佐藤栄佐久に原発関連のインタビュ―をして、ハッとした。佐藤は、国が押し進める核燃料サイクル政策、とくに使用済み核燃料の再処理に対し、「立ちどまって考えよう」と反旗をひるがえしていた。
佐藤が真っ先に口にしたのは、JCO事故だった。
「事故の直後、茨城県に隣接する、いわき市の保健所に駆けつけました。事故発生時に東海村付近を通過した住民が、放射線量の測定のために詰めかけていた。保健所の職員は休日返上で対応しており、激励しましたが、検査を受けるために並んでいた人たちの顔色は真っ青でした。とくに不安そうな表情で検査を受けていた親子連れの姿が強く、心に残りました。これはいけない。原発の国民理解にとって、事故を起こさないことが第一。まことに残念で、怒りを覚えました」
佐藤は、エネルギー問題を福島県全体の課題と受けとめた。専門家を招いて核燃料サイクルの研究を重ね、実現性に疑義を抱き、再考を促すようになった。
ちょうどそのころ、経産省資源エネルギー庁の若手官僚たちが匿名で「19兆円の請求書 止まらない核燃料サイクル」というA4判25頁の文書をまとめ、メディアに配ろうとしていた。
「19兆円の請求書」には制度的矛盾が的確に記されており、「立ちどまって議論を」と彼らも唱えていた。朝日新聞のベテラン記者とともに私は取材を進め、週刊朝日に「『上質な怪文書』が訴える核燃中止」という記事を掲載した。
だが……その後、佐藤は収賄容疑で逮捕され、執行猶予付き有罪判決を下される。「19兆円の請求書」の若手官僚たちはエネルギーとは無関係な部署に飛ばされた。
・・・(途中略)
結局、高速増殖炉の開発は、常陽のデータを基に建設した原型炉「もんじゅ」が度重なる事故で再稼働の見通しが立たず、廃炉が決まって頓挫した。一兆円もの税金をつぎ込んだ末の、見るも無残な自己崩壊だった。
使用済み核燃料の再処理問題は、先日、日米原子力協定が「自動延長」されて様相が変わった。自動延長だから、いままでどおりと思ったら大間違いだ。今後は、日米のどちらかが半年前に通告すれば協定は終了できる。
・・・(後略)
by kuroki_kazuya
| 2018-08-04 06:58
| 学ぶ