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by 幸田 晋

<つなぐ 戦後73年>戦時、隠された被災地 昭和東南海地震 国が報道管制

<つなぐ 戦後73年>
戦時、
隠された被災地 

昭和東南海地震 
国が報道管制


東京新聞 2018年8月20日 朝刊より一部

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018082002000142.html

 太平洋戦争末期に東海地方を襲った昭和東南海地震は、戦時下の報道管制で被害状況がほとんど伝えられなかった。「隠された災害」を浜松市で経験した斎藤ようさん(84)=東京都町田市=が今夏、首都圏に住む高校の同級生たちとともに被災体験を文集にした。都合の悪いことを隠し、日本は焦土へ突き進んだ。文集には「大地震さえ隠す戦争の恐ろしさを伝えたい」との願いを込めた。 (松村裕子)

 国民学校の四年生だった。ドッカーンという大きな音がして、激しい揺れに襲われた。「爆弾が落ちた」と思い、爆風から身を守ろうと急いで机の下にもぐった。地震だと分かったのは校舎の外に出てから。千二百人以上の死者を出した東南海地震は一九四四年十二月七日、午後の授業が始まってすぐに起こった。下校途中、倒壊した家屋から人の手だけが見え、怖くて足早に通りすぎた。

 浜松市を大規模な空襲が襲ったのはその六日後だ。

 軍需工場が多いこともあり、終戦までに艦砲射撃も合わせて大きなものだけで二十七回も米軍の攻撃にさらされた。地方都市では異例の被害が出たのは、帰還する米軍機が余った爆弾を浜松上空で投下したためだった。日本爆撃作戦の司令官だった米軍のカーチス・ルメイは浜松を「爆弾のゴミため」と後に記した。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-08-21 06:25 | オンブズマン | Comments(0)