スキーにはまっています。


by 幸田 晋

東海第2原発の探訪記「歩く見る聞く 37」

東海第2原発の探訪記「歩く見る聞く 37」
(2018年8月27日)(上)
 
東海第2原発は
40年制限ルールに則って
再稼働せずに廃炉にすべきだ

       
田中洋一 (埼玉県在住) 
tanaka@wb3.so-net.ne.jp

たんぽぽ舎です。【TMM:No3447】
2018年8月29日(水)午前 01:48
地震と原発事故情報
より一部

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┗■1.東海第2原発の探訪記「歩く見る聞く 37」(2018年8月27日)(上)
 |  東海第2原発は40年制限ルールに則って再稼働せずに廃炉にすべきだ
 └──── 田中洋一 (埼玉県在住) tanaka@wb3.so-net.ne.jp

◎ 61年前のこの日、初めて日本に原子の火がともる。場所は茨城県東部にある
東海村の日本原子力研究所(原研)の研究用原子炉。核分裂が継続して起きる臨
界状態がついに生まれた。日本の原子力開発がここに始まり、同時に、一寒村は
変貌する。

 かつてクロマツの砂防林が広がっていた村の太平洋岸を、今は国道245号沿いに
原子力関係の主な施設が立ち並ぶ。原研の後継に当たる日本原子力科学研究所を
真ん中に、その北に東海第2原発(日本原子力発電)、南に核燃料サイクル工学
研究所が占める。

 常磐線が通る村の中央から東の原子力施設に至る主な道路に名前がついている。
村役場の前を通り、原研の前に出る目抜き通りは原研通り。東海第2原発と廃炉
作業中の東海原発に出る原電通り、再処理施設に至るのは動燃通り、と分かり易
い。動燃というのは再編前の動力炉・核燃料開発事業団の略称だ。
         ×       ×
◎ 今月中旬に東海村を訪れた。日本原電の東海第2は今年11月に営業運転を始
めて40年になる老朽原発なので、3・11後に改められた原子炉等規制法の40年制
限ルールに則って再稼働せずに廃炉にすべきだと私は考える。阿部功志・東海村
議のご案内で一帯を回った。東海第2の安全性は原発それ自体の問題に加えて、
周囲の原子力施設との複合性を併せ考えなければいけない、との印象を強くした。
 東海第2の敷地には展示広報館があり、誰でも入れる。マリンブルーが映える
原発建屋の撮影を始めるや、ガードマンが近づいてくる。「発電所を見上げて撮
るのは構わないが、街路樹より低いところは撮影しないで」と注意された。狙い
がよく分からない。

 国道245号を南下し、原子力科学研究所の正門前で車から降りてカメラを構えた
ら、またガードマン。「原子力施設だから写真撮影は禁じられています」。そん
なばかな。敷地の外から何をどう撮ろうと、ケチをつけられる筋合いはない。な
ぜか撮影には過敏だ。

 原研の南に核燃料サイクル工学研究所があり、その敷地の北の境界に沿って海
岸に向かう。軽車両でもすれ違えないほど狭い道で海岸に近づくと、川幅数mの
新川を挟んで建屋が現われる。この中に東海再処理施設がある。「3・11では津
波が新川を遡上しました」と阿部さん。

 東海再処理施設は1981年に本格運転を始め、施設廃止の認可を今年受けた。廃
炉作業中の新型転換炉ふげんや他の原発の使用済み核燃料を保管している。解体
が終わるまでに70年もかかる。
 この再処理施設が特に怖いのは、高レベル放射性物質が廃液として残っている
点だ。東海村を訪ねた翌週、東海再処理施設の廃止計画について知る機会があっ
た。茨城県の原子力安全対策委員会があり、再処理施設の責任者が県当局に説明
する場面を傍聴した。

 再処理工程の概要は、使用済み核燃料を裁断・溶解し、最終的にウラン酸化物
やプルトニウム-ウラン混合酸化物の粉末を取り出す。当面の10年間で最大の課
題は、溜まった高レベル放射性廃液を安全に管理しつつ、扱い易いガラス体に固
化する作業だ。東海村によれば、貯蔵している高レベル廃液は今年6月現在で約
340立方mある。ガラス固化体は309本で、10年後には約880本に増える。

 県安全対策委に提出した工程表には、10数年後に「ガラス固化完了」「固化体
搬出」とある。最終処分地に運び出す意味で、センター長は「NUMOが平成
40年代の後半で処分地を決める」とあっさり説明した。
 私は、候補地のメドすら立っていないのに、と声を上げそうになった。砂上の
楼閣が透けて見えた。 (下)に続く

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┗■3.行った、見た、聞いた 朝鮮民主主義人民共和国
 |  報告その2 失敗談あれこれ
 └──── 渡辺マリ(たんぽぽ舎ボランティア)

〇40年ぶりの海外旅行、いろいろありました

 *今回の旅行関係の書類がどっさり自宅に届いたのだけれど意味が分からない
し、ハングルの書類まである。不安なので一切合切持って成田空港へ。
 まず「ビザって何?」から始まった私。そのため、搭乗する時も、税関を通る
時も、書類を全部広げて同行者にいちいち教えてもらう始末。皆さんにはえらい
迷惑をかけてしまいました。

 *時差があった
 瀋陽のホテルに着いた(日本の制裁で中国経由でなければ朝鮮には入れない)翌
朝、朝食は朝7時半という約束だったので、食堂に行きました。
 ドアを開けたら大忙しのお姉さんがシッ、シッとは言わないけれど、そんな感
じで追い出されました。そう、時差などという事、全く頭になかったのですよ。
1時間早かったのだ。

 *平壌ホテルでの買い物
 「ドル?元?円?」と聞かれ「ドル」と答えたら電卓を私に見せてくれました。
そこには「105」と。なので105ドルを渡したら、手を振っていやいやをする。
 「へ?」どうしても受け取ってくれないのです。
 困っていたら、ガイドの人が飛んできてくれました。正しくは10.5ドルだった
のですね。彼女も困ったと思う、景気よく定価の10倍の105ドルを出そうとしたの
ですから。

 *洗濯物
 洗濯物が溜まったので頼もうと思ったのですが、その方法が分からない。その
ため、女性スタッフに洗濯板でゴシゴシこすり、干すジェスチャーをしてみまし
た。ジッと見つめて考え込む彼女。やおら、にっこり笑って「キー」と言うので、
渡したら、私の部屋はこの4階ではなくて5階だというジェスチャー。
 それも大笑いしながら。仕方ないので「ハンサ(有難うという意味)」と言って、
むなしく5階へ。ゴシゴシという洗い方は日本独自のもののようですね。

 *トイレットペーパー
・レストランには私の経験の限りではありませんでした。日本のつもりでふと見
たら、ない!本当に焦りました。たまたまポシェットをぶら下げていたので助か
りました。
・ホテル備え付きのペーパーはとてもしっかりしていました。
 日本だとクルクル何枚も重ねて使用しますが、その必要なし。

 *シャンプー?ボディシャンプー?リンス?
 ハングルなので分からない。仕方がないので髪は固形せっけんで洗いました。

 *お腹がひっくり返った
 帰りは、平壌から瀋陽まで10時間の列車の旅という何とも情緒ある計画。出発
前から楽しみにしていたのに、お腹が大変な事になってしまいました。寒気がし
て、毛布を2枚かぶってひたすら眠り続け。
 これは海外へ行くとよくある話だそうです。同行者も多かれ少なかれ同じ状態
だったようです。

 *部屋の灯りのつけ方が分からない
 お腹グチャグチャのまま瀋陽に戻ってホテルへ。けれど、灯りの点け方が分か
らない。仕方ないので真っ暗な中を手探りで移動。パジャマも探せずそのまま、
就寝。

〇 いろいろありましたが、楽しかったです。けれど71歳のこの身、もう海外へ
行くことはないだろうなあ…。


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by kuroki_kazuya | 2018-08-30 06:15 | 核 原子力 | Comments(0)