スキーにはまっています。


by 幸田 晋

スーパーボランティア尾畠春夫さん「仮設住宅がなくなる日まで、休酒続けます」

スーパーボランティア
尾畠春夫さん

「仮設住宅がなくなる日まで、
休酒続けます」
 

12/15(土) 23:58配信より一部

スポーツ報知

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181215-00000132-sph-soci

 平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、死者・行方不明者約1万8000人以上を数え、7年たった今でも5万人以上が避難生活を強いられている。今年8月に山口県で行方不明の2歳児を救出し、「スーパーボランティア」として注目を浴びた尾畠春夫さん(79)は発生から約2週間後に宮城県南三陸町を訪れ、のべ500日にわたり、被災者の思い出の品や行方不明者の遺骨を探す活動などに従事した。今も気にかける被災地への思い。大分県日出(ひじ)町の自宅で、当時の話と復興への願いを聞いた。(樋口 智城)

 「地獄ですわな」。尾畠さんが初めて南三陸の被災現場を見た時の印象だ。「がれきだの何だのが、山の上の方にたまってましてね。潰れた家の人が生きているのか死んでいるのかも全く分かりませんでした」。惨状を見た瞬間、それまで毎晩浴びるように飲んでいた酒を1滴も飲まないと心に決めた。「実際にあの酷(ひど)い状況を見たら、そういう決意もできる。伝聞だけじゃ絶対分からん」

 尾畠さんが南三陸で行ったのは「思い出探し隊」というボランティア。鎌などが入った数キロに及ぶ道具カバンを肩に背負い、がれきから被災者の思い出の品を掘り起こす。04年の新潟・中越地震などでの経験を買われ、隊長に任命された。「グラブ、ボール、ぬいぐるみ。毎日数え切れないほど出てきました」

 ある時、がけの近くの崩れそうながれきの中に、大きな紙焼きの写真を見つけた。「よく見えなかったんですが、直感でこれは大事なもんやろなと思いました」。ボランティアは保険が利かないので、危険な作業は禁止されているが「それでも諦めきれず、他の隊員を帰して、1人でコソッと取りに行きました」。

 水で洗ってみると、小さな女の子の七五三の写真だった。避難所に置いていると、しばらくたって女の子の知り合いが受け取りに来た。「涙を流して喜んでくれました。あれは本当にうれしかったなあ」。その写真の子はどうなったのか、詳細は一切分からないまま。「大切なものを渡せたことだけが必要。余計なこと、聞きませんので」

 実は南三陸に入ったのはボランティアが目的ではなかった。「06年に徒歩で日本縦断した時、大量のおこわをもらったおばあさんがいて。電話がつながらないから、安否を確認しに行ったんですよ」。大分から軽ワゴンで60時間かけて駆けつけ、おばあさんの家を見つけた。「お互いに抱き合って20分ほど泣きどおし。体中の水分、どっか行った気がしたなあ」。無事を確認しただけで帰るなんて許せんと思い、そのままボランティアを開始した。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-12-16 06:35 | 学ぶ