スキーにはまっています。


by 幸田 晋

小児科医 自殺 労災認定

フジテレビ系報道[15日3時47分更新]より

自殺した小児科医の遺族が過酷な勤務が原因と訴えた裁判 東京地裁、
労災と認める判決1999年に自殺した東京の小児科の医師の遺族が、過酷な勤務が原因だと訴えた
裁判で、東京地方裁判所は14日、労働災害と認めるべきだとの判決を下した。
自殺の裏には、小児科医が全国的に不足する現状がある。

自殺した中原利郎さんの遺書には「経済大国日本の首都で行われている、
あまりに貧弱な小児医療。この閉塞(へいそく)感の中で、わたしには医師という
職業を続けていく気力も体力もありません」とつづられていた。

1999年、勤め先の病院の屋上から飛び降り、自ら命を絶った小児科医の
中原利郎医師(当時44)。
故・中原医師の妻・のり子さんは「『このままだと、僕は病院に殺される』という言葉を
話してましたから、彼は死んだんじゃなくて、殺されたっていうふうに、
わたしは思いました」と話した。
のり子さんらは、自殺したのは過労などによるうつ病が原因だとして、
労働基準監督署が労災と認めなかった処分の取り消しを求めてきた。

利郎さんは、辞めた同僚の補充ができず、ひと月に8回の宿直勤務や、
連続32時間働く日もあったという。

14日の判決で東京地裁は、「うつ病は、業務に起因して発症したものと認めるのが
相当」として労災を認定し、取り消しを命じる判決を言い渡した。
自殺による労災が認められたのは、今回が初めてのこととなる。

判決後、のり子さんは「夫が亡くなって8年、医療現場の労働環境は、
ますます悪くなっているようにも見えます。このような悲劇は夫、そしてわたしたち
家族だけで、もうたくさんなのです」と、医療現場の改善を訴えた。

利郎さんの長女・千葉智子さん(25)は現在、小児科の研修医となって3年目で、
青森・六ケ所村の診療所で働いている。
しかし、医師になりたいと利郎さんに相談したとき、過剰なまでに反対されたという。
智子さんは「『医者なんて、ろくな職業じゃない』というような言い方をされて。
もう頭ごなしに、『医学部になんて進んじゃいけない』というような話をされました」と語った。

1990年をピークに、小児科がある病院は年々減少し、残された病院に患者が集中し、
激務となっている。
利郎さんの遺書には「今、医療の第一線は、瀕死(ひんし)の重体に陥っています」と
もつづられていた。
父が命まで絶った過酷な医療現場に入った智子さんは「やっぱり、不安はずっと
つきまとうと思います。でも、それに勝るぐらい、患者さんを笑顔で帰すことができる
瞬間の医者としての生きがい。
そういったものが、いかに強いのかっていうものを今は身に染みて感じています。
(父も)応援してくれていると思っています、はい」と語った。
のり子さんは判決後、「中原利郎が憂いていた、心配していて、
まさに自分が押しつぶされてしまった医療の改善の第一歩。わたしは、
今まで以上に頑張って、発言し続けていきたいと思っています」と話した。

以上です、が、医師という職業の厳しさ、を知ることになります。
私も、もう30年くらい前に当時の宮崎医科大(現宮大医学部)の知人などの勤務状況を
聞いて医師という職業は、大変過酷である、と、認識させられました。
ひと月に8回の宿直勤務や、
連続32時間働く日もあったという。
ことは、とても重労働です。体力が持ちません。し、気力も無くなるでしょう。
私は、そう思います。
by kuroki_kazuya | 2007-03-15 04:14 | 日誌 | Comments(0)