戦争 平和
2007年 04月 08日
慰霊祭:特攻戦没者を慰霊、平和への思い新た
遺族ら参列し献花--都城 /宮崎
第二次大戦末期に都城市の東、西両飛行場から出撃した特攻戦没者の慰霊祭が
6日、同市都島町の慰霊碑前であった。
全国の遺族や戦友、市民ら約400人が参列し、平和への思いを新たにした。
市特攻隊戦没者奉賛会長の長峯誠市長が
「戦争を二度と繰り返さず、平和の尊さを
後世に伝えていきます」と述べ、
参列者が菊の花を供えた。
兄の利夫さん(当時19歳)を亡くした鹿児島市の永田弘さん(62)は遺族を代表し
「遺族は高齢化しているが、これからも慰霊祭を続けてほしい」とあいさつした。
両飛行場からは終戦の年の4~7月に17次にわたり特攻機が出撃し、
約80人が死亡した。特攻援護機の隊員も多数が亡くなった。【木元六男】
4月7日16時2分配信 毎日新聞より
二度と戦争をしない、最低それは、
日本国民共通の願です。
遺族ら参列し献花--都城 /宮崎
第二次大戦末期に都城市の東、西両飛行場から出撃した特攻戦没者の慰霊祭が
6日、同市都島町の慰霊碑前であった。
全国の遺族や戦友、市民ら約400人が参列し、平和への思いを新たにした。
市特攻隊戦没者奉賛会長の長峯誠市長が
「戦争を二度と繰り返さず、平和の尊さを
後世に伝えていきます」と述べ、
参列者が菊の花を供えた。
兄の利夫さん(当時19歳)を亡くした鹿児島市の永田弘さん(62)は遺族を代表し
「遺族は高齢化しているが、これからも慰霊祭を続けてほしい」とあいさつした。
両飛行場からは終戦の年の4~7月に17次にわたり特攻機が出撃し、
約80人が死亡した。特攻援護機の隊員も多数が亡くなった。【木元六男】
4月7日16時2分配信 毎日新聞より
二度と戦争をしない、最低それは、
日本国民共通の願です。
by kuroki_kazuya
| 2007-04-08 04:10
| 日誌