スキーにはまっています。


by 幸田 晋

カテゴリ:歴史( 238 )

吉田元首相
「統計正確なら戦争なかった」
 

幼い麻生氏に言い聞かせ


東京新聞 2019年2月19日 朝刊より一部

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201902/CK2019021902000147.html

 毎月勤労統計の不正調査に関する十八日の衆院予算委員会の集中審議で、麻生太郎副総理兼財務相が祖父の故・吉田茂元首相から、不正確な統計をもとに日本が戦争に突き進んだと聞かされていたことが話題に上った。

 立憲民主党の長妻昭氏が麻生氏の著書「麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀」の記述を紹介した。

 著書によると、戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による占領時代に、マッカーサー最高司令官から「日本の統計はいいかげんで困る」と苦言を呈された際、当時の吉田首相が「当然でしょう。もし日本の統計が正確だったら、むちゃな戦争などいたしません。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2019-02-20 06:23 | 歴史 | Comments(0)
<家族のこと話そう>

戦争を抱え生きた父 

ノンフィクション作家・清武英利さん


東京新聞 2019年2月10日より一部

http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201902/CK2019021002000152.html

 両親と五人きょうだいの家族で、僕は長男でした。決して裕福とはいえない家で、小学生のころは継ぎを当てたズボンをはいていました。当時はどの家も貧しかったからそんなに違和感はなかったけれど、欲しいものを買ってもらう余裕はなかった。

 おやじは戦後、警察官になって、宮崎県警の刑事をしていました。幼いころはおやじの転勤で県内を転々。警察署の前にある官舎に住んだこともあります。同僚の警察官がしょっちゅう遊びに来て、一緒に正月の餅つきをしたり、潮干狩りに行ったり。知り合いから「このままだと非行に走る」と頼まれて、若者二人を預かった時期もあった。おやじは世話好きだからね、すぐ引き受けていました。

 おふくろもめげない人でね。僕の友だちに貧しくて差別されていた子がいたんだけれど、クリスマスにその子にケーキを作って持たせてくれた。「うちはちょっと豊かだからね」って。本当は裕福じゃないんだけれどね。そういう助け合いの気持ちが、昔の人は濃かったんだと思う。

・・・(途中略)

 それで、おやじの死後、戦友を訪ね歩きました。鹿児島の予科練で訓練を受けて、福岡周辺の部隊で終戦を迎えたことは分かりましたが、戦友の方も亡くなっている人が多くて、それ以上のことは分からなかった。でも、なぜおやじが戦争のことを語ろうとしなかったのか、いまでも気にかけています。あの戦争は繰り返し問わないといけないことだし、おやじは戦後、その傷を心に秘めて生き続けたわけだから。

  聞き手・添田隆典/写真・中西祥子

<きよたけ・ひでとし> 1950年、宮崎県生まれ。75年、読売新聞社入社。読売巨人軍の専務取締役球団代表兼GMを務める。11年、コーチ人事を巡る問題で解任。著書に「しんがり 山一證券 最後の12人」「石つぶて 警視庁 二課刑事の残したもの」(いずれも講談社)など。文芸春秋で「後列のひと」を連載中。
by kuroki_kazuya | 2019-02-11 06:25 | 歴史 | Comments(0)
田原総一朗氏が
「平成」を語る 

「『戦争しないこと』は
絶対に守らなければいけない」


1/2(水) 16:32配信より一部

スポーツ報知

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00000064-sph-soci

 天皇陛下の生前退位により4月30日で30年の歴史を終える「平成」。ジャーナリストの田原総一朗さん(84)が、「平成の時代」を語った。平成が始まる2年前、1987年4月にスタートしたテレビ朝日系討論番組「朝まで生テレビ」で30年以上にわたって司会を務める田原さん。番組とともに平成という世相を斬り続けてきたテレビ界の重鎮が、平和な時代を築き上げる大切さを訴えた。(樋口 智城)(この記事は2018年12月9日の紙面に掲載されたものです)

・・・(途中略)

 米中枢同時テロ、北朝鮮核問題など国際社会は今も多くの難題を抱えているが、「日本は対外的に平和を保ってきた。『平和ボケ』と言う論調はありますが、みなさんどう思います? かなり珍しい事象だと思いますよ」。

 田原さんは87年から30年以上、「朝生」の司会を務めてきた。開始当時は、戦争を知る論客が大暴れ。強烈な戦争経験があるからこその言葉があった。「例えば1回目から出ていた(映画監督の)大島渚さんなんて『国家ってものは良くない』なんて平気で言っていた。今、そんな元気なことをいう論客はほとんどいないよ」

 田原さんにはジャーナリストの原点とも言える経験がある。「小学校5年生の1学期、教師たちが『この戦争は侵略国からアジアを解放するためだ、君らも参加して名誉の戦死をしろ』と言っていたのに、終戦後の2学期になって『あの戦争はやってはいけなかった。平和のために頑張れ』って。180度、価値観が変わったわけですよ」

 その体験を踏まえ、田原さんは「平成が終わり、新時代を迎えても『戦争しないこと』は絶対に守らなければいけない」と主張する。「交流している政治家たちや若い世代には、このことだけはずっと言い続けている」と戦争世代を代表して願いを込めた。

・・・(途中略)

 危惧するのはマスコミのあり方だ。「インターネットで自由になるべきなのに、逆に縛られている。これは縛られる方が悪い。何かを起こしていくのがマスコミなんだから」
by kuroki_kazuya | 2019-01-03 06:55 | 歴史 | Comments(0)
【平成回顧】〈2〉
「これ、本番ですか?」
宇宙特派員の秋山さん

支えた「8時だョ!全員集合」


1/2(水) 14:08配信 より一部

スポーツ報知

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181215-00000155-sph-ent

 天皇陛下の生前退位により4月30日で30年の歴史を終える「平成」。スポーツ報知では、平成の30年間を1年ごとにピックアップし、当時をあらためて振り返る。第2回は平成2年(1990年)。(この記事は2018年5月13日の紙面に掲載されたものです)

 平成2年12月2日は、日本人が初めて宇宙に飛び立った日となった。TBSの「宇宙プロジェクト」で日本人初の宇宙飛行士に選ばれたのは、同局報道局の外信部デスクだった秋山豊寛さん。「宇宙といえば米国のスペースシャトル」と思っていた多くの国民にとって、ソ連(当時)のソユーズ宇宙船で、しかも40代後半の一局員が9日間の宇宙飛行をしたことは驚きをもって受け入れられた。宇宙での第一声として知られる「これ、本番ですか?」のエピソードなど、「宇宙特派員」を務めた当時について聞いた。(高柳 哲人)

 これ、本番ですか?―。12月2日午後6時56分。人類で初めて宇宙へ行ったガガーリンの「地球は青かった」のような名言を期待していた人は、緊張感のない秋山さんの宇宙からの第一声にズッこけたに違いない。

 「あれは偶然。宇宙だけでなく通常の中継でもそうですが、開始前には別回線で打ち合わせをして、そこから本番の回線につなぐ。それが、打ち合わせ中に予定よりも早くつながってしまい、地球側から呼び掛けられたので、あんなふうになってしまったんです」

 元々は「その瞬間」に向けて、いろいろな言葉を考えていた。「『宇宙から見た地球は素晴らしいが混沌(こんとん)としている』とか考えていた。でも、帰ってから『面白かった』とか言われて、それなら良かったかな、と。まさに、天の配剤だったのでしょう」。生中継をしていることがリアルに伝わったことで、宇宙特派員の「任務」を果たせたと感じている。

・・・(途中略)

 秋山さんは宇宙飛行から5年後の95年にTBSを退社した。管理職となり取材現場から遠ざかったこともあるが、以前から農業に強い関心があった。「何より、食べ物のそばにいられるからね。人間は食べていかないといけないから」

 福島県滝根町(現・田村市)でシイタケ農家を営んでいたが、2011年の東日本大震災による福島第1原発の爆発事故で避難を余儀なくされ、転々とした後の同年秋に京都へ移住。京都造形芸術大の教授となり、学生たちに情報メディア論や農作業を通じて五感を鍛える「芸術総合演習」などの講義を行った。一昨年4月からは三重県大台町に住み、有機農業に取り組んでいる。

 くわを手にし、土をいじる姿は、実に楽しそうだ。「ニンジンとキャベツはサルにやられちゃって壊滅状態だけどね。ほうれん草やタマネギを作っていて、今年からはブルーベリーに挑戦しようかと。うまくいったら、『道の駅』で売ろうかな」と思い描く。

 「昔は『あの人は今』みたいな番組を担当したこともあったけど、今は自分がその(番組に出る側の)立場になっちゃったな」と“隠とん生活”を笑う。一方で、現在もジャーナリストという意識も忘れてはいない。「東京から離れた場所で、じっくり行く末を眺めてやろうと思って。そうしたら、長生きしないとね」と話していた。

 【注】1986年1月28日、米フロリダのケネディ宇宙センターで、スペースシャトルが打ち上げから73秒後に機体が分解し、乗組員7人全員が死亡した事故。事故後、シャトル打ち上げは2年8か月間中断され、宇宙計画は大幅に変更されることとなった。85年8月に向井千秋さん、土井隆雄さんと共に宇宙飛行士に選ばれた毛利さんは当初、88年1月に打ち上げるスペースシャトルに搭乗予定だった。

 ◆秋山 豊寛(あきやま・とよひろ)1942年6月22日、東京都世田谷区生まれ。国際基督教大(ICU)卒業後の66年にTBSに入社。ラジオニュース部に配属。BBC出向を経て外信部、政治部に所属。84年、ワシントン支局長に就任。90年、日本人初の宇宙飛行士としてソ連のバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船で宇宙へ。95年、TBSを退社。2011年11月に京都造形芸術大の教授に就任(18年4月から客員教授)。
by kuroki_kazuya | 2019-01-03 06:45 | 歴史 | Comments(0)

混迷の30年

社説:
混迷の30年

2018/12/31(月) 13:07配信より一部

京都新聞

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181231-00000006-kyt-l26

 2018年が暮れる。そして平成時代が終わろうとしている。
 恒例の今年の漢字は「災」だったが、平成の30年間を漢字1文字で表すとしても、やはり「災」になるのではないか。
 阪神・淡路大震災や東日本大震災をはじめ、大きな災害が相次いだ。豪雨や台風、猛暑にも見舞われた今年は象徴的な1年だった。
 巨大地震の多発は私たちの社会観、人生観も変えたのではないか。「安心・安全」が叫ばれ、行政の予算は防災が最優先になった。ボランティアや助け合いの精神が広がったことも見逃せない。

 「災害に強く」道半ば
 だが、日本が災害に強くなったかと問われると心もとない。大阪の地震ではブロック塀の痛ましい事故が起き、身近に危険が残っていることを浮き彫りにした。
 平成最悪の犠牲者を出した西日本豪雨では、住民への避難情報の伝達が課題となり、地域に防災対策が十分浸透しているのかが改めて問われた。
 東京電力福島第1原発事故は発生から7年を経過したが、収束していない。帰還困難区域では避難指示が続いている。
 異常気象が予期せぬ災害を引き起こしている。パリ協定の共通ルールが決まり、温室効果ガス排出削減の取り組み強化が求められる。南海トラフ地震への備えも必要だ。多くの課題が新しい時代に持ち越される。
 「災」は「人災」でもある。
 平成の国内政治は「政治改革」のかけ声ととともに幕を開けた。それが選挙制度改革につながり、緊張感のある二大政党制を目指して小選挙区制が導入された。
 政権交代は何度かあったが、30年たって「政治が良くなった」と実感する有権者は果たしてどれくらいいるだろう。
 今年は安倍晋三自民党総裁が3選を果たした。通算の首相在任期間は歴代最長をうかがう。支持率は安定しているが「ほかに適当な人がいない」という消極的な理由が最多となっている。
 安倍氏は10月の臨時国会の所信表明で「長さゆえの慢心はないか。国民の懸念にもしっかりと向き合う」と述べた。
 だが働き方改革関連法や改正入管難民法など、十分な議論のないまま重要な法律が成立した。昨年から持ち越した森友・加計問題はうやむやになっている。
 公文書の改ざんなど民主国家ではあり得ないような問題も相次いだ。モラルの危機が社会にどんな悪影響を及ぼしているか心配だ。
 今日の政治状況をもたらした元凶に、選挙制度改革の「失敗」を挙げる声は多い。改革の原点を見つめ直すべきではないか。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2019-01-01 06:35 | 歴史 | Comments(0)
海外でも
国内でも

重要なニュースが
立て続けに起きている年の瀬


田中良紹 | ジャーナリスト

12/23(日) 22:59 (有料記事)より一部

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20181223-00108793/

フーテン老人世直し録(412)

極月某日

 このところ海外でも国内でもフーテンを驚かせる動きが相次いでいるため頭の中の焦点が定まらない。

 例えば10月にイスタンブールで起きたカショギ氏暗殺以降、米国のトランプ大統領はかつてなく追い詰められているとブログに書いたが、そのトランプ大統領が12月19日にシリアから米軍は撤退すると発表、それに反対のマティス国防長官が辞任することになった。

 シリアからの米軍撤退はトルコのエルドアン大統領とロシアのプーチン大統領を喜ばせ、ISとの戦争で米国に協力してきたクルド人勢力を見捨てることになる。それは敵対するイスラエルとイランとで言えば、イスラエルに厳しくイランに有利に作用する。

 シリアからの米軍撤退はトランプの選挙公約ではあるが、しかしISとの戦争が終わったとは言えない時点での撤退は、カショギ氏暗殺を巡りトランプがエルドアンと裏取引をしたのではないかとの疑惑を抱かせる。

 カショギ氏暗殺でエルドアンがサウジアラビアのムハンマド皇太子関与をこれ以上追及しない見返りに、トランプはトルコによるクルド攻撃を認めたのではないかと疑われているのである。トランプの決断には共和党からも批判が上がった。

 それはムハンマド皇太子と特別の関係にあるトランプの娘婿クシュナー氏を守るためだと思われ、またクシュナー氏が「ロシア疑惑」にも絡んでいることから、捜査次第ではトランプへの風当たりがさらに強まる可能性がある。

 一方、国際社会との協調を重視してきたマティス長官の辞任は、より一層トランプが主張する「世界の警察官からの完全撤退」に米国をシフトさせ、米国は各国に自前の防衛力を要求、それぞれの国に米国製兵器を買わせて金儲けする路線を採ることになる。

 日本にとっては日米安保体制の見直しにつながる話だ。フランスのマクロン大統領とドイツのメルケル首相が欧州軍創設を主張するように、米国の軍事力に頼らずに独自の軍隊を持つ体制構築が必要になる。

 そうした状況の中で、ロシアのプーチン大統領は20日に恒例の年末会見を行った。そして北方領土を巡る日ロ交渉について、日本に北方領土を引き渡した場合、米軍施設を作らせない権利を日本が持っているのかと疑義を呈した。

 例としてプーチンは沖縄の米軍基地問題を指摘する。「知事が基地拡大に反対しているが何もできない。人々が撤去を求めているのに基地は強化される。皆が反対しているのに計画は進んでいる」と語った。

 これは戦後の日本が抱える本質への鋭い指摘である。しかし沖縄を除くほとんどの日本人がこの本質を知らない。日本は平和憲法を護り、軍隊を持たずに米軍に守って貰うのが一番だと思い、日本に本当の意味での主権がないことを知らない。

 日米安保条約がある以上、米軍は日本の領土のどこにでも基地を作れる。また基地を作らなくとも米軍の艦船はどこの港も自由に使える。そこから出撃することも可能だ。プーチンはその状況を変えない限り日ロ平和条約は結べないと言ったのである。

 俄然フーテンは北方領土交渉に興味がわいてきた。河野外務大臣は一切の質問を受け付けないが、この交渉によって戦後の日本をまともにするチャンスが訪れるのである。すべての日本人はこの交渉を契機に、なぜ日米安保条約が結ばれたのか、誰が安保条約を書いたのか、それがどのような経緯を経て今日に至ったのかを知る必要がある。

 そうすれば、沖縄が置かれた状況や、日本の領土、領海、領空がどうなっているかを日本人は知り、同時にそれがなぜこれまで知らされてこなかったのかも分かるようになる。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-12-24 06:35 | 歴史 | Comments(0)
世界のネット利用者は39億人、
史上初めて総人口の半数超えへ


12/9(日) 21:07配信 より一部

AFP=時事

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181209-00000031-jij_afp-int

【AFP=時事】国連(UN)専門機関の国際電気通信連合(ITU)は7日、世界のインターネット利用者数が今年末までに約39億人、総人口の51.2%に達し、史上初めて半数を超えると発表した。

 ITUの趙厚麟(Houlin Zhou)事務総局長は「2018年末までに、ネット利用者数は節目となる半数を上回る」との見方を表明。

「世界全体がより包括的な情報社会に向かう上で重要な一歩」だとした上で、「それでも世界各地では、あまりにも大勢の人々がデジタル経済の恩恵を受けるのを依然として待っている」と付け加えた。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-12-10 06:25 | 歴史 | Comments(0)
大嘗祭 公費に異議 

秋篠宮さま「宗教色強い」


東京新聞 2018年11月30日 朝刊より一部

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201811/CK2018113002000144.html

 秋篠宮さまは三十日、五十三歳の誕生日を迎えられる。これに先立ち、東京・元赤坂の宮邸で妻の紀子さまとともに記者会見に臨み、皇太子さまが新天皇に即位後の来年十一月に行う宮中祭祀(さいし)の「大嘗祭(だいじょうさい)」について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈し、皇室の私的費用の「内廷費」で対応すべきだとの考えを示した。政府は公費の「宮廷費」から支出する方針を決めており、皇族が公の場で、政府方針に異を唱えたのは極めて異例。 (小松田健一)

 秋篠宮さまは会見で、「宗教行事と憲法との関係はどうなのかという時に、やはり内廷会計で行うべきだと思っています」と述べた。三十年前の平成の大嘗祭のときからの持論だったという。

 前回は大規模な大嘗宮の建設などで二十五億円を超える宮廷費が支出された。同じ規模なら、天皇家と皇太子家の生活費を含む内廷費(年間約三億二千万円)では賄いきれないが、「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、できる範囲で身の丈に合った儀式で行うのが、本来の姿ではないかなと思います」と語った。宮内庁長官にも持論を伝えていたといい、「話を聞く耳を持たなかった。非常に残念なことだった」とも話した。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-12-01 06:35 | 歴史 | Comments(0)
ラジオ復権は
東日本大震災が契機か、


吉田照美が語る将来性


11/10(土) 16:00配信より一部

NEWS ポストセブン

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181110-00000019-pseven-ent

 長年にわたり“過去のメディア”とされていたラジオが復権しつつある。そのきっかけとなったのが「ラジコ」。ネットを介してラジオを配信するラジコによって、いつでもどこでもラジオを聞けるようになったのだ。月額350円で全国のラジオをネットを介し、スマホやPCで視聴することが可能だ。

 とはいえ、番組そのものが面白くなければ意味はないわけだが、ラジオにはラジオにしかない魅力があるのだ。

◆ホンネを聞ける

 2016年末、惜しまれつつ解散した国民的アイドルグループ・SMAP。「メンバー自身の口から解散の真実を聞きたい」というファンの願いに応えたのは、「メディアの王様」とされるテレビではなく、ラジオだった。

 解散発表後、木村拓哉(45才)は自身がパーソナリティーを務めていた番組『木村拓哉のWhats' UP SMAP!』(TOKYO FM)内で「つらい思いをさせてごめんなさい」と重々しく謝罪した。さらに解散後には、稲垣吾郎(44才)が『大竹まこと ゴールデンラジオ』(文化放送)にゲスト出演し、「ファンのかたから『大丈夫ですか』と心配してもらいますが、本当に楽しくやらせてもらっています」とにこやかに報告した。

 このように普段は表に出ない著名人の“B面”が見られるのもラジオの大きな魅力だろう。

 特に深夜番組でその傾向が強く、『オールナイトニッポン』では、菅田将暉(25才)が迷いに迷った末に20万円の絵画を購入したことを、テレビではいつも自信なさげなオードリーの若林正恭(40才)が意外にも「オラオラぶり」を披露している。

 また、映画以外にほとんど露出のない吉永小百合(73才)は、TBSラジオの『今晩は 吉永小百合です』を12年間続け、「実はカープ女子もどきなんです」などと私生活をラジオでだけ明らかにする。ライターで構成作家のやきそばかおるさんはこう話す。

「今はテレビや雑誌で少しでも不用意な発言をしたらバッシングされますが、ラジオではホンネを明かすことができます。とりわけ関西の放送は東京より“ホンネ度”が高い気がします」

 ラジオにホンネが求められるようになったきっかけは、2011年の東日本大震災だという。

「原発事故が発生した当時、“新聞やテレビは本当のことを報道しない”との不満が高まりました。その中で、“ラジオは嘘をつかない”“ラジオだけはホンネを言える場であってほしい”という期待感が増した。震災後もこの傾向は続き、近年はTBSラジオの『荻上チキSession-22』に代表されるようなニュースの本質に斬り込む番組が増えました。テレビだと専門知識のないコメンテーターが当たり障りのない一言を添えて終わりですが、ラジオだと専門家がきっちりと解説するためわかりやすい」(やきそばかおるさん)

・・・(途中略)

 ラジオの自由さをよく表すのが、「東大ニセ胴上げ事件」だ。学生服を着て受験生になりすました吉田さんが東京大学の合格発表に潜入し、「受かったー!」と叫んで胴上げされる様子を『セイ!ヤング』で放送したのだ。

「ぼくが胴上げされるシーンがテレビ各局の夜のニュースでも流れて、『受験をバカにしているのかっ!』と視聴者にひどく怒られました(苦笑)。今でいう炎上です。でもぼくは、くだらないことやバカバカしいやり取りをして、“人間って本当にバカだね”という気持ちをみんなで共有できるのがラジオのいいところだと思う。そういう幸せな瞬間がたまにやってくるんです」(吉田さん)

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-11-11 06:33 | 歴史 | Comments(0)
四大公害病

:高度経済成長期の負の遺産


11/6(火) 15:01配信より一部

nippon.com

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181106-00010001-nipponcom-soci

まさの あつこ

日本では企業活動で生じた環境汚染による健康被害が起きても、国と自治体が放置した時代があった。企業は汚染物質と被害の因果関係を知り得た後も事実を隠し、被害を拡大させた。公害病が初めて認定されてから半世紀、日本社会は何を学んだのか。


後手後手に回った国の公害認定

富山県の神通川流域で発生したイタイイタイ病が1968年5月に公害病と認定されてから、今年で50年を迎える。イタイイタイ病とは、三井金属鉱業の鉱山や製錬工場から排出されたカドミウムが川に流され、生活用水や農作物などを通して身体に取り込まれて生じた病だ。腎臓障害から骨軟化症を発し、全身に針で刺されたような激痛が走る。漁業被害などの記録は30年代からあったが、開業医が人の病に気づいたのは46年。国が鉱業会社と病の因果関係を認めたのは、それから22年がたってからだった。被害者らが同社に損害賠償請求訴訟を提訴した2カ月後のことである。

イタイイタイ病は、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくと合わせて「四大公害病」として記憶されることとなった。

水俣病は、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(以後、チッソ )が32年からアセトアルデヒド生産工場の排水を海に垂れ流し、そこに含まれていた水銀が生じさせた病だ。56年にその発生が公式に確認された。食物連鎖を通じて地元の魚介類を食べる人々が発症。死亡、麻痺(まひ)、けいれん、視野狭窄(きょうさく)、聴力障害、手足の感覚障害といった人体被害に加えて、地域社会による差別が被害者とその家族を苦しめた。

新潟水俣病は、水俣病の原因究明と対策が先延ばしにされる中、65年に発生が認められた第2の水俣病だ。昭和電工が阿賀野川中流、新潟県鹿瀬町で稼働させていたチッソと同様のアセトアルデヒド生産工場からの排水が原因だった。

しかし、国が2つの水俣病の発生源を公式に認めたのは68年9月だった。

四日市ぜんそくは、59年に操業を開始した三重県の四日市コンビナートから排出された大気汚染による健康被害だ。コンビナートにある13社の煙突から吐き出される亜硫酸ガスが、気管支喘息(ぜんそく)、喘息性気管支炎、慢性気管支炎、肺気腫など呼吸器疾患を発症させた。そのうちの6社、すなわち石油精製を行う昭和四日市石油、石油を原料に2次製品から最終製品を製造する三菱油化、三菱モンサント化成、三菱化成工業、石原産業、そして石油火力で発電を行う中部電力が訴えられ、72年に共同不法行為が裁判で認定された。

企業利益を優先し、被害を拡大させた政府

日本の高度経済成長期、重化学工業化が進んだため環境汚染が拡大し、経済の繁栄と引き換えに公害で苦しむ多くの患者を生み出すことになった。そして四大公害病は、私たちに忘れてはならない3つの教訓を残した。

第1に、生物が発する警告は注意深く受け取らなければならない。

四大公害病では人間よりも先に動植物が被害を受けた。水俣病や新潟水俣病では魚が、イタイイタイ病では鉱山周辺の木々や河川下流部の稲、魚が、四日市でも魚が汚染されていた。

第2に、原因究明や対策を先延ばしにして、被害を拡大させてはならない。

例えば水俣病では、1952年に魚の大量斃死(へいし、突然死)事件が起きた時に工場排水の成分分析は行われず、4年後に患者が発生した。翌57年には、熊本県が食品衛生法に基づいて漁獲を禁止しようとしたが、厚生省(現・厚生労働省)は「すべてが有毒化しているという明らかな根拠がない」と法律を運用させなかった。

その厚生省が58年にチッソを汚染源と特定すると、チッソは否定。排水口を水俣湾内から湾外に変更して、より広い不知火海沿岸に被害を拡大させた。

通産省(現・経済産業省)は排水先の変更に気づいていたが、チッソに対して排水停止命令を出さず、59年に排水口を水俣湾内に戻させただけだった。この年、チッソ水俣工場付属病院の医師は、ネコを使った動物実験により原因は工場排水に含まれていた水銀であると突き止めた。しかし、実験結果を公表しなかった。

熊本大学の研究班も原因物質を特定、厚生省の食品衛生調査会の部会がその結論を支持した。しかし、その部会報告を通産相が「結論は早計」と受け入れず、結論を支持した部会の方が解散させられた。業界団体である日本化学工業協会は、過去に否定された爆薬原因説などを持ち出して水銀説を薄めた。

同年11月には国会議員団が初めて現地調査に訪れ、漁民や患者家族によるデモ隊が出迎え世論を高めた。しかし、12月にチッソは浄化装置を完成させ、汚染収束を演出した。ただし、この浄化装置に水銀の除去機能はついておらず、その後も汚染はチッソが水銀使用をやめるまで続いた。人々がそのことを知らされたのは1985年の法廷においてだった。

残酷にも母親の胎盤を通して水銀被害を受ける水俣病の存在が確認されたのは、汚染収束が演出された3年後の62年だ。脳性小児まひで死亡したと思われた5歳児の解剖で有機水銀が検出されて、疑われていた胎児性水俣病がこの時に証明された。

政府がついに水俣病の汚染源と原因を認めたのは、アセトアルデヒド生産の他の製造方法が確立し、水銀が不要となった68年だった。国は結論を先延ばしにして最後まで企業利益を優先し、被害を拡大させた。

・・・(後略)
by kuroki_kazuya | 2018-11-07 06:35 | 歴史 | Comments(0)