#
by kuroki_kazuya
| 2016-06-07 07:06
| 写真
甲状腺がん、30人に増加
=18歳以下検査2巡目
―福島県
時事通信 6月6日(月)20時14分配信より一部
東京電力福島第1原発事故による影響を調べるため、
福島県が事故当時18歳以下(胎児を含む)だった
県民を対象に実施している
2巡目の甲状腺検査で、
県は6日、
3月末時点で
30人が甲状腺がん
と診断されたと発表した。
県は、昨年12月末時点の16人から増加した原因を不明としているが、「甲状腺がん発生は原発事故の影響とは考えにくい」との見方を変えていない。
・・・(後略)
=18歳以下検査2巡目
―福島県
時事通信 6月6日(月)20時14分配信より一部
東京電力福島第1原発事故による影響を調べるため、
福島県が事故当時18歳以下(胎児を含む)だった
県民を対象に実施している
2巡目の甲状腺検査で、
県は6日、
3月末時点で
30人が甲状腺がん
と診断されたと発表した。
県は、昨年12月末時点の16人から増加した原因を不明としているが、「甲状腺がん発生は原発事故の影響とは考えにくい」との見方を変えていない。
・・・(後略)
#
by kuroki_kazuya
| 2016-06-07 06:55
| 東電 出鱈目 資本
英主要労組、600万人にEU残留支持呼びかけ
読売新聞 6月6日(月)22時22分配信より一部
【ロンドン=角谷志保美】
英国の欧州連合(EU)残留か離脱かを問う国民投票で、英国の主要労働組合10組織の指導者が組合員計600万人に残留支持を呼びかけた。
6日付の英紙ガーディアンが伝えた。労組は、労働者の権利保護が手厚いEUへの残留を求める立場。しかし、移民に職を奪われるという不満から組合員にEU懐疑論もあるため、引き締めを図った。
・・・(後略)
読売新聞 6月6日(月)22時22分配信より一部
【ロンドン=角谷志保美】
英国の欧州連合(EU)残留か離脱かを問う国民投票で、英国の主要労働組合10組織の指導者が組合員計600万人に残留支持を呼びかけた。
6日付の英紙ガーディアンが伝えた。労組は、労働者の権利保護が手厚いEUへの残留を求める立場。しかし、移民に職を奪われるという不満から組合員にEU懐疑論もあるため、引き締めを図った。
・・・(後略)
#
by kuroki_kazuya
| 2016-06-07 06:45
| 労働
みなさま、時間のアル時に
是非、「天木 直人の公式ブログ」へ
お出で頂きたい。と、思います。<<KK>>
ーーーーーーーーーーーーーー
やり過ぎの習、二重基準のオバマ、憲法9条否定の安倍
「天木 直人の公式ブログ」 2016年6月5日より転載
シンガポールで開かれているアジア安保会議が大変な事になっている。
中国の南シナ海軍拡をめぐって米中の対立がかつてなく先鋭化しているからだ。
このまま行けば軍事衝突さえ起きかねない。
アジア・太平洋の集団安全保障の枠組みをつくるために2002年からシンガポールで開かれてきたこのアジア安保会議が、なぜここまで激しい米中対立の応酬の場となってしまったのか。
国際司法裁判所の仲裁などクソくらえだ、と公言して軍事拠点化を進める習近平の中国は、いくらなんでもやり過ぎだ。
おまけに天安門事件の誤りを認めず、人権批判についても一蹴している。
これでは世界の孤児になる。
しかし、オバマの米国もやり過ぎだ。
カーター国防長官が安保会議で発言したらしい。
米国のいう事を聞かなければ行動を起こすと。
どこかで聞いたセリフだ。
その通りだ。
サダムフセインのイラクを攻撃した時のブッシュの米国とそっくりだ。
国際法を無視して、いたるところで先制攻撃してきた米国が、その一方で中国に国際法を守れと言う。
どこまでいっても身勝手でダブルスタンダードの米国だ。
本来ならば、日本は、そんな無法な米中の対立を仲裁する立場に立たなくてはいけない。
そして、憲法9条を持つ日本は、その資格が十分ある。
ところが、憲法9条を否定することが悲願の安倍首相は、これまでのどの首相よりも日米同盟を最優先し、米国の使い走りのように対米包囲網に突っ走っている。
習近平の中国も、オバマの米国も、安倍の日本も、いずれも大きな間違いをおかしている。
平和を願うアジアや世界の国民の期待を裏切っている。
その中でも日本の誤りは深刻だ。
真っ先に犠牲になるのは日本だからではない。
憲法9条を世界に掲げているだけ欺瞞的である(了)
*****
反ヘイトスピーチもまた暴力だ
「天木 直人の公式ブログ」 2016年6月6日より転載
ヘイトスピーチ対策法が施行されて初めてのヘイトデモがきのう6月5日川崎市で行われ、そのデモに反対する市民らと暴動騒ぎになったことが大きく報じられている。
それを映し出す画像を見て、私は何とも言えない違和感を持った。
デモに反対する市民もまた暴力をふるっている。
このデモ騒ぎを遠くから眺め、恐怖を抱いて敬遠する市民こそ、本当の市民ではないのか。
私は知っている。
ヘイトデモをするものも、それに激しく反対するものも、政治的活動家たちであり、その仲間なのだ。
そして、このデモと反デモは、この国の右翼、左翼の政治的対立の合わせ鏡なのだ。
暴力は右翼がするものだと相場は決まっているが、左翼もまた暴力的なのである。
私は官僚を辞めて政治活動にかかわり、デモにも何度も参加した。
そして、その事を知った。
そこにはまともな一般市民の入り込む余地のない政治の世界がある。
大多数の国民は、そのどちらでもない。
いまの政治には多くの不満はあるが、みずから政治に関与して、そのような暴力的な行動に巻き込まれたくないのである。
そして、それは健全な考え方だと思う。
しかし、誰かが政治を担わなくてはいけない。
私は、政治家は、そのような声なき声の一般大衆の声を政策に実現する役割を担った、公正、無私の、誰からも信頼、尊敬される人物だけがなるべきだと思っている。
もちろん、そのような人物は希少であり、そのような人物は政治家にはならない。
だからこそ政治家は少なくていいのだ。
そういう人物を探しだして、そういう人物に政治を任せ、我々は彼らを監視していればいいのだ。
私の唱える新党憲法9条構想は、そのような政治である。
いま我々が目にしている、安倍、反安倍の政争の対極にある政治である。
そういう政治が求められる時が必ず来ると思っている(了)
是非、「天木 直人の公式ブログ」へ
お出で頂きたい。と、思います。<<KK>>
ーーーーーーーーーーーーーー
やり過ぎの習、二重基準のオバマ、憲法9条否定の安倍
「天木 直人の公式ブログ」 2016年6月5日より転載
シンガポールで開かれているアジア安保会議が大変な事になっている。
中国の南シナ海軍拡をめぐって米中の対立がかつてなく先鋭化しているからだ。
このまま行けば軍事衝突さえ起きかねない。
アジア・太平洋の集団安全保障の枠組みをつくるために2002年からシンガポールで開かれてきたこのアジア安保会議が、なぜここまで激しい米中対立の応酬の場となってしまったのか。
国際司法裁判所の仲裁などクソくらえだ、と公言して軍事拠点化を進める習近平の中国は、いくらなんでもやり過ぎだ。
おまけに天安門事件の誤りを認めず、人権批判についても一蹴している。
これでは世界の孤児になる。
しかし、オバマの米国もやり過ぎだ。
カーター国防長官が安保会議で発言したらしい。
米国のいう事を聞かなければ行動を起こすと。
どこかで聞いたセリフだ。
その通りだ。
サダムフセインのイラクを攻撃した時のブッシュの米国とそっくりだ。
国際法を無視して、いたるところで先制攻撃してきた米国が、その一方で中国に国際法を守れと言う。
どこまでいっても身勝手でダブルスタンダードの米国だ。
本来ならば、日本は、そんな無法な米中の対立を仲裁する立場に立たなくてはいけない。
そして、憲法9条を持つ日本は、その資格が十分ある。
ところが、憲法9条を否定することが悲願の安倍首相は、これまでのどの首相よりも日米同盟を最優先し、米国の使い走りのように対米包囲網に突っ走っている。
習近平の中国も、オバマの米国も、安倍の日本も、いずれも大きな間違いをおかしている。
平和を願うアジアや世界の国民の期待を裏切っている。
その中でも日本の誤りは深刻だ。
真っ先に犠牲になるのは日本だからではない。
憲法9条を世界に掲げているだけ欺瞞的である(了)
*****
反ヘイトスピーチもまた暴力だ
「天木 直人の公式ブログ」 2016年6月6日より転載
ヘイトスピーチ対策法が施行されて初めてのヘイトデモがきのう6月5日川崎市で行われ、そのデモに反対する市民らと暴動騒ぎになったことが大きく報じられている。
それを映し出す画像を見て、私は何とも言えない違和感を持った。
デモに反対する市民もまた暴力をふるっている。
このデモ騒ぎを遠くから眺め、恐怖を抱いて敬遠する市民こそ、本当の市民ではないのか。
私は知っている。
ヘイトデモをするものも、それに激しく反対するものも、政治的活動家たちであり、その仲間なのだ。
そして、このデモと反デモは、この国の右翼、左翼の政治的対立の合わせ鏡なのだ。
暴力は右翼がするものだと相場は決まっているが、左翼もまた暴力的なのである。
私は官僚を辞めて政治活動にかかわり、デモにも何度も参加した。
そして、その事を知った。
そこにはまともな一般市民の入り込む余地のない政治の世界がある。
大多数の国民は、そのどちらでもない。
いまの政治には多くの不満はあるが、みずから政治に関与して、そのような暴力的な行動に巻き込まれたくないのである。
そして、それは健全な考え方だと思う。
しかし、誰かが政治を担わなくてはいけない。
私は、政治家は、そのような声なき声の一般大衆の声を政策に実現する役割を担った、公正、無私の、誰からも信頼、尊敬される人物だけがなるべきだと思っている。
もちろん、そのような人物は希少であり、そのような人物は政治家にはならない。
だからこそ政治家は少なくていいのだ。
そういう人物を探しだして、そういう人物に政治を任せ、我々は彼らを監視していればいいのだ。
私の唱える新党憲法9条構想は、そのような政治である。
いま我々が目にしている、安倍、反安倍の政争の対極にある政治である。
そういう政治が求められる時が必ず来ると思っている(了)
#
by kuroki_kazuya
| 2016-06-07 06:35
| 日本の今後